なんのために文章を書いているんだろう?
私は文章を書くことが好きですが、ごくたまに、こう思うことがあります。
書くことでご飯を食べているわけでもない。ただただ好きだから書いています。
そこには、どんな意味があるんだろう?
古賀史健さんの『みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門 (スマート新書)』。
求めていた答えがそこにあって、なんだか安心しながら読了しました。
読んでくれる人のために書く
小さい頃から書くことが好きだったから、私は、”私のため”に文章を書いていました。
けど、ここのところ、その意識そのものに対して違和感を覚えるようになったんです。
文章を書く目的、それは「読者を動かすこと」である。
『みんなが書き手になる時代』という文言に惹かれて読んだこちらの1冊。
開いた瞬間に、これだ、と思いました。
文章は、自分のために書くのではない。
最初から最後まで、読んでくれる人のために書くのだ。
違和感を覚えていた理由は、きっと、”自分のため”に書く文章に、私自身が飽きていたからなのだと思います。
私が”私のため”に書いた文章を読むことに、私自身が飽きた。
文章は、読者のためにある。
そして最終目的は、読んだ上で行動を起こさせることにあるのだと知り、
文章そのものの奥深さに、また気づくことができました。
文章は、書き手と読み手の対話で成り立つ
読者のことを度外視した文章は、書き手の独りよがりになりがちです。
それはそうですよね、相手のいない文章は独り言といっしょ。
文章を読むとき、読者はかならず「この人は何が言いたいのだろう?」と考えながら読んでいます
書くときも読むときも、キャッチボールを意識するといいのかもしれません。
対面での会話と同じです。
疑問を投げかける。それをキャッチする。またそれを投げかえす。
ひたすらその繰り返し。
やっぱり読んでいるときに書き手との心の交流を感じると、
ただ漫然と字面を追っているときよりも圧倒的にたのしいんですよね。
書くときも読むときも、相手のことを考える。
今日も、わたしと、読んでくれているあなたとの心の交流を意識しながら書きました。
伝わっているでしょうか?
読ませる文章から対話する文章へ