2021年になって初めての書評です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
毎年1月になると楽しみにしていることがあります。
それは本屋大賞ノミネート作品の発表です。(2021年1月21日正午に発表です。)
日頃本に接している本屋店員さんたちがここぞ!とオススメする作品は、文学賞受賞作品とは異なる新しい本との出会いがあるような気がして、ワクワクします。
そこで今回紹介したいのは、昨年2020年本屋大賞を受賞した凪良ゆうさんの『流浪の月』です。
登場人物たちの心の動きが緻密に、かつ繊細に描かれているこの作品を少し触れたいと思います。
あらすじ
夕飯にアイスクリームを食べたり。昼間からカクテルを作ったり、R-15作品であるタランティーノ監督『トゥルー・ロマンス』を小学生の子供と一緒に見たり、
そんなちょっと変わった両親と温かい日々を過ごしていた9歳の家内更紗(やない さらさ)。
ところが、その日常はある日を境に突然崩れてしまう。
引き取られた伯母の家では、両親と暮らしていた時とは、全く異なる生活で窮屈さを感じていた。
伯母との生活に疲れ、家にも帰りたくなかった更紗は、本を読むふりをして、公園で女の子たちを観察していた「ロリコン」男性に「うちにくる?」と声を掛けられる。
「うん。」と答えた更紗は、「ロリコン」男ー19歳大学生の佐伯文(さえき ふみ)の家に行く。
文の家に行った更紗は、性的強要をされる、、、のではなく、夕飯にアイスクリームを食べたり、自分が選んだ可愛いお洋服を買ってもらったり、『トゥルー・ロマンス』を一緒に見たり、と両親と暮らしていた時のような、温かい心休まる日々だった。
ところがこの生活もわずか2か月、文の逮捕によって突然終わる。
この出来事は「家内更紗ちゃん誘拐事件」と名付けられ、この日から更紗は事件の被害者として、見られることに。
しかし、当の本人は「佐伯文は何もしていないし、むしろ優しかった。」と心の底から思っていたし、事実であったが、誰も理解してくれなかった。この理解されない苦しみは、更紗が成人女性になっても続く。
事件から15年の年月が過ぎ、24歳に更紗は、思わぬ形で佐伯文と再会する。
外部から見た事件と当事者たちが知る真実
文が逮捕されてから数年経ち、更紗はインターネット事件についての報道をやっと見ることができました。
暴力的で非道徳的な映画(『トゥルー・ロマンス』)を見せたこと。劣情をかき立てるような愛らしいデザインの服を買い与えたこと。果ては休日にピザを取ったというごく普通のことまで、だらしないロリコン男の生活として紐づけられていて、わたしは呆然とした。
書かれていた報道は、事実とはあまりにもかけ離れていたのでした。実際は、
『トゥルー・ロマンス』はわたしがリクエストした映画だ。服は通信販売でわたしが好みのものを選んで、文は購入手続きをしてくれただけだ。女の子がかわいらしい服を着ることは劣情をかき立てることなのだろうか。わたしは混乱した。
大人になった今、文に一点の曇りもなかったとは思わない。
(中略)
それでも、文はわたしが嫌がることはいなかった。ベッドはわたしに譲り、自分は隣の部屋で眠った。記憶のどのシーンを切り取っても、文は理性的だった。わたしが勝手に居着いただけで、結果として文がさらったことになってしまっただけだ。
外部が報じている事件と、当事者たちが知る真実、両者には大きな隔たりがあります。
男性による少女誘拐事件が、男性側(文)が加害者、少女側(更紗)が被害者という構図で、加害者が被害者に性的強要を絶対行っている前提で、話が進められるかが、良く分かるシーンだと思いました。
そして更紗=被害者という構図は、事件から何年たっても、更紗を息苦しくさせているのです。
他人は優しい。でも息苦しい。
昔からわたしの言葉は伝わらない。思いやりという余計なフィルターを通されて、ただ笑っているだけで『無理をしているのではないか』、ただうつむいただけで『過去のトラウマがあるのではないか』という取扱シールを貼られる。
多くの人の中にある『力なく従順な被害者』というイメージから外れることなく、常にかわいそうな人であるかぎり、わたしはとても優しくしてもらえる。世間は別に冷たくない。逆に出口のない思いやりに満ちていて、わたしももう窒息しそうだ。
どこに行っても、更紗は事件の被害者から抜け出せないでいました。
学校でも、就職先でも、アルバイト先でも、そして恋人さえも、更紗=被害者という目で見ていました。
事件の被害者でないと思っているからこそ、自分の言葉が伝わらないもどかしさや、被害者というレッテルが、更紗を息苦しくさせているのです。
それゆえ、自分が住む町で出所した佐伯文を見つけた時、思わず仲間を見つけたような、安心感を抱いたのではないでしょうか。
文にとっての更紗という存在
会社経営者の父、教育と福祉に熱心な母、勉強も遊びもバランスよくこなす兄に囲まれ、いわゆる普通の家庭に育った佐伯文ですが、中学生の頃から、周りとは異なる違和感を覚えていました。
この違和感は家族に話すこともできず、ずっと抱え込み悩んでいました
そんな時に出会ったのは、更紗でした。
佐伯文にとって、更紗の存在は希望の光でした。
更紗はぼくの知らないことをたくさん知っていた。どれもたわいないことばかりで、そのたわいなさに、ぼくは信じられないほど救われたのだ。
更紗は傍若無人なほど自由だった。
それはぼくの知らない、光り輝く世界だった。
「家内更紗ちゃん誘拐事件」によって、文の人生も壊れていきました。
人との交流は途絶え、家族からも距離を置かれ、自分の存在に意味をなくしていました。
そんな中、インターネット情報で見つけた更紗の行方が書かれたわずかな情報。
更紗がいる町へ引っ越しをするほど、事件から何年たっても、更紗の存在は変わらず希望の光だったのです。
まとめ
文と更紗の結びつきは、決して恋ではありません。
むしろ、恋を越えたものだと思うのです。
それは2人とも、「家内更紗ちゃん誘拐事件」を通じて、外部から事件を見た人たちの言動に傷ついたこと、そして、外部の人たちが知らない真実をお互い知っているからなのかもしれません。
本書を通じて、一つの事象(今回だったら男性による少女誘拐事件)に対し、部外者はある種のフィルターを通じて当事者たちを見てしまうこと、そしてフィルターを覆すことの難しさが分かりました。
その一方で、当事者たちが知る事件は、世間の目とは全く異なる事実が存在することも、思い知ったのでした。
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