全国で緊急事態宣言が解除され、元の生活に徐々に戻りつつありますね。
今回取り上げたい本は、緊急事態宣言により、公演が難しくなった舞台芸術人形浄瑠璃、
現代でも演じられる演目『妹背山婦女庭訓』の作家、近松半二の半生を追った『渦』になります。
第161回直木賞を受賞した作品でもあります。
わたほん読者の皆様は人形浄瑠璃をご覧になったことはありますか。
私は、学生時代に音楽の時間に映像で見たのみで、この小説を読むまで詳しいことは知りませんでした。
また、この本を読んで初めて知ったのですが、『妹背山婦女庭訓』は歌舞伎の演目としても上演されています。
近松半二の研究はあまり多くないこともあり、この時代を想像しながら、彼の生涯を追っていきたいと思います。
あらすじ
近松半二。
近松姓を名乗っているが、近松門左衛門に全く関係がない。近松門左衛門のすずりを受け継いだだけ。
本名、穂積成章(ほづみなりあき)。儒学者で私塾を開いていた穂積以貫(ほづみいかん)の次男である。
以貫は人形浄瑠璃狂いで、半二は幼い頃から、道頓堀の竹本座に通っていた。そして自然と半二は道頓堀の芝居小屋に入り浸るようになる。
そんな半二を見かねた以貫は、知り合いの浄瑠璃作家に半二を預けるが、作家もすぐに亡くなる。半二は脚本もろくに書かないまま、何年も行き当たりばったりの生活を送る。
ところが、かつて自分と同じように、幼い頃から道頓堀の芝居小屋に出入りしていた久太こと、並木正三(なみきしょうざ)が歌舞伎作家として、力をつけたことを聞き、ようやく奮起する。
同じ頃、かつて兄の許嫁で、婚約が反故になったのち、三輪の酒屋に嫁いだお末に道頓堀で再会する。
三輪がある奈良は、浄瑠璃演目の舞台に多く選ばれているにも関わらず、半二は奈良へ行ったことがないことに気づく、
正三に先越され巻き返しを図りたい半二は、三輪にあるお末の家を訪ねる。
そして、この道中で見たものが『役行者大峯桜』を書き上げ、近松半二は浄瑠璃作家として、名が売れるようになる。
作家近松半二を生んだ町-道頓堀-
道頓堀。
関東で生まれ育った私には、グリコの看板と阪神ファンが飛び込む場所というイメージしかなかったのですが、
国立文楽劇場や松竹座、なんばグランド花月など、劇場が多く立ち並んでいます。
17世紀後半には、人形浄瑠璃や歌舞伎を上演する芝居小屋が開かれ、半二が生きた18世紀半ば頃は、目の肥えたお客で連日にぎわいを見せていました。
人形浄瑠璃と歌舞伎、どちらも人気博し、そしてお互いをライバル視していました。
脚本家の引き抜きや同じ演目を競って演じていたようです。
それゆえ、人形浄瑠璃と歌舞伎には同じ演目が多くあります。
まるで渦。渾然一体の町道頓堀
人形浄瑠璃と歌舞伎がお互い切磋琢磨して、演目の人気を支えている道頓堀。
並木正三は近松半二に道頓堀の様子をこう語っています。
歌舞伎も操浄瑠璃も、お互い、盗れるもんがないか、常に鵜の目鷹の目で探しとる。歌舞伎が操浄瑠璃を、操浄瑠璃が歌舞伎を。歌舞伎が歌舞伎を。操りが操りを。からくり芝居かて、お神楽かて、そこら辺りの寺社の境内の、小屋掛けの小芝居に至るまで、なんでもええ、これや、いうのんをみつめたら、ちゃっちゃっと盗んで、練り上げて、こねくり回して、もっとええもんに拵え直す。そのまんま、やってしまうこともあるしな。そのためにご丁寧にも丸本なんてもんまで売りにでてる。せやけど、せっかく盗っても、ええもんにならへんかったら客に愛想つかれてお陀仏や。(中略)そうして今度は客の取りあいや。客いうたかて道頓堀の客はむつかしいで。なんでもようみてはるしな。目が厳しい。あの人らの目がええ芝居を据えさしよるともいえる。道頓堀、ちゅうとこはな、そういうとこや。作者や客のべつなしに、そうやな、人から物から、芝居小屋の内から外から、道ゆく人の頭ん中までもが混然となって、混じりおうて溶けおうて、ぐちゃぐちゃになって、でてけんのや。そや。わしらかて、そや。わしらは、その渦の中から出てきたんや。
現代だと著作権等の問題で、同じ演目を違う芝居小屋が演じるのは難しいでしょうが、
お客さんが満足するために、芝居の良いものを盗んで、練り上げている様子は、まるで渦のよう。
芝居だけでなく、芝居小屋やそばを行きかう人々までもが渾然一体となり、「道頓堀」の街は出来上がっていると
このセリフを見て感じられます。
そして、近松半二もこの渦を構成する一つの駒なのでしょう。
『妹背山婦女庭訓』とお末
ところで、浄瑠璃の演目には、太和や吉野を舞台にした作品が多いことをご存じでしょうか。
実は、半二の代表作『妹背山婦女庭訓』も大和にある妹背山が舞台となっています。
あらすじはというと、
飛鳥の改新をモチーフとした時代王朝もので、帝位を奪おうとする謀反人の蘇我入鹿を倒すべく、中大兄皇子(後の天智天皇)のため力を尽くす藤原鎌足&淡海親子とその一派の活躍を描く。
補足をすると、前半部分は、まるで和製『ロミオとジュリエット』、蘇我入鹿によって引き裂かれる久我之助と雛鳥の悲恋があり、後半には、藤原淡海とは知らずに恋をする、橘姫(蘇我入鹿の娘)と酒屋のお三輪の三角関係が見せ場となっております。
では、どうして道頓堀で生まれ育った半二が、大和地方を舞台にした作品を描いたのでしょうか。
その鍵を握るのが、半二の幼馴染お末になります。
お末は半二の兄の「元」許嫁。「元」とついている通り、半二の実家穂積家に婚約を反故にされてしまったのです。
お末の家は三輪の出身だったため、婚約破棄後、一家で道頓堀を去り、三輪で営んでいた家業を継いだのでした。その後、お末は三輪の酒屋に嫁ぎ、子供も設けます。
嫁いだ後、お末は一度、父の使いで道頓堀に来た時に、まだ作家として売れていなかった半二に会います。半二はこの時、お末が兄のことが好きで、婚約が反故にされたとき、半狂乱になり、兄と心中したいと思う勢いだったと告白します。
まるで、浄瑠璃に出てくる登場人物の女と変わらない心情を聞き、半二は幼馴染がこんな物騒なことを考えていたと夢にも思っていなかったのです。
決して、幼馴染の枠を超えない二人ですが、少なくとも半二にとって、お末は身近な存在だが、浄瑠璃の人形のように熱い感情を秘めていると思っていたのだと感じたのでしょう。
三輪にいるお末の存在は、半二の名が売れるようになった『役行者大峯桜』を始め、『妹背山婦女庭訓』にも表れています。
そう、酒屋のお三輪は、まるで三輪の酒屋に嫁いだお末を指しているようにしか見えませんね。
まとめ
『渦』を読むまで、人形浄瑠璃についても、近松半二についても、全く知りませんでした。
本書は小説なのでフィクションが混ざっているとは思っていますが、先入観がない分、
本書のように、生きていたのではないかと思うくらい、近松半二の息遣いが感じられます。
そして、タイトル『渦』と同じく、史実とフィクションが、混じり溶け合っているようにも感じられるのです。
中断された日常生活が戻りつつある今、本書で『妹背山婦女庭訓』に触れたこともあり、人形浄瑠璃や歌舞伎で見てみたいと思うのです。
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