酒があってもなくても人生は寂しい。町田康『しらふで生きる:大酒飲みの決断』

こんばんは。せらまよ(@seramayo)です。

突然ですが、皆様はお酒がお好きですか? わたしはとっても大好きです。お酒が飲めなくなるなんて、ちょっと怖くて想像もできません。

さて、そんなわたしが今回は、パンクロッカー・小説家の町田康氏(以下敬称略)による「禁酒記」、『しらふで生きる:大酒飲みの決断』をご紹介します。

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あの町田康が、禁酒!?

町田康という方は、わたしの中で確実に「大酒飲み」の部類に入る方でした。

酒飲みというのは――少なくともわたしの場合は、尊敬している誰かが自分と同じようにお酒を飲むことを知ると嬉しくなるし、さらに、自分と同じように何度もお酒の失敗を重ねていることを知ると、もっと嬉しくなるものです。わたしにとって町田康は、まさにそういう嬉しさをわたしにもたらしてくれる人でした。

作家・町田康との出会いは中学生の頃。『きれぎれ』を読んで一気にファンになり、地元の図書館にあった彼の著作をすべて読みました。高校帰りに立ち寄ったヴィレッジヴァンガードで『町田康詩集』を発見し、それを読んでさらに崇拝するようになりました。大学生になって嫌な出来事にうんざりする日が続いたときは、彼の描き出す破天荒で不条理な世界によく飛び込んだものです。活字から目を上げると、そこにある現実があまりにもすっきりして良心的な世界に見えて、安心して翌日を迎えることができました。

町田康が大酒飲みと知ったのは、わたし自身が成人してからのことだったと思います。それまでもお酒が好きなんだろうなとは思っていましたが、「大」がつくほどの酒飲みだと認識したのは最近のことでした。きっかけは、愛犬スピンクの目線から町田一家の日々を描いたエッセイ『スピンク日記』シリーズを読んだこと。そこには、著者自身の飲酒、そして泥酔と二日酔いの様子が面白おかしく描かれているのです。

中でも、『スピンクの笑顔』で描かれる「泥酔しすぎてなぜか純白のウエディングドレスを着て家に帰ってきた」というエピソードは最高です。これまで、わたしが現実に目にしたり話に聞いたりした泥酔事件は数あれど、これほどまでに驚きと爆笑を与えてくれるものはなかったと思います。しかもその後、「禁酒するならウエディングドレスを着て過ごしてください」という妻の言いつけを守り、ウエディングドレスを着てスピンクたちの散歩に出かけ、職務質問を受けるに至る――この人はもう、よほどのことではお酒をやめないだろうな。そう思っていました。それなのに……!

こんなにもお酒を愛し、お酒に愛されていた人が禁酒に成功してしまう、そのプロセスが綴られているのが『しらふで生きる』なのです。わたしとしては、なんだか裏切られたような気持ちになりながら、この本を読み進めました。

全然納得できないし、なんだか腹が立つ

『しらふで生きる』で描かれる禁酒は、「何か大きな失敗をしたから」とか「健康診断の結果が悪かったから」とか、そういうわかりやすいきっかけで始まったものではありません(むしろ著者は、検査を受けると悪い数値が出て酒を禁止されそうだという理由で健康診断に行かずにいました)。

町田康の禁酒は、「なぜか、ふと『酒を飲むのをやめよう』と思ってしまった」ことから始まります。そしてその考えが頭に浮かんだ瞬間、著者は自身の理性を疑います。先ほどの思いつきはなんとも馬鹿げた考えに見えて、自分に対して「いい加減にしてほしい」と思い、そんな愚劣なことを考えた自分が腹立たしくてなりません。つまり、「『酒をやめよう』と思うだなんて、自分は気でも狂ったのか?」と感じるのです。

以降、葛藤の末、著者は結局お酒をやめます。それはなぜか? どうやってやめられたのか? 肝要な部分をかんたんにまとめると、以下のようになります。

  1. そもそも「自分は人より優れているのに、じゅうぶんな幸福を得られていない」と思うから、足りないぶんの幸福を補うために酒を飲むのである
  2. しかし、酔いによってもたらされる満足は後にかならず不満足をもたらすので、その不満足をまた酔いによって解消する……という悪循環に陥る
  3. そこで「自分は平均よりアホであるし、そんなに幸福を得る必要はない」というふうに認識を改めることで、そもそもの不満を減らすことができる
  4. あまりに自分を卑下しすぎると虚無になるので、次に「自分と他人を比較すること」そのものをやめる
  5. すると、自分をアホと認識しながらも、同時に、自分の生命とこの世界を同じくらいに慈しむ気持ちが生まれてくる
  6. そこには、「これまで聞こえなかった音や見えなかった景色」があり、そのよさを識ることは自分のよさを識ることでもある
  7. こうして虚無からも不満からも身を遠ざけることができ、そのことによって酒をやめることができる
……言っていることは、頭ではわかります。自尊心や、真の自己肯定感を身につけることで、お酒がなくても生きていけるようになる、ということでしょう。

それは確かに良いことのような気もします。けれど……ほんとうにそれでいいのか? 彼はそうなってしまったのか? わたしはもっと、自意識との軋轢が見たいのに。しかもなんだか自己啓発本みたいで、死ぬほど腹が立つ!

個人的にはやっぱり、そう感じてしまっていました。

最後の章に到達するまでは。

酒を飲んでも飲まなくても、人生は寂しい

「酒を飲んでも飲まなくても、人生は寂しい」

これは、本書の最終章に付けられたタイトルです。何度読んでも、いいフレーズだなあと思います。

このタイトルを見た時に、これまでの部分が一気に腑に落ちました。おそらく、ずっとお酒を飲んでいると見逃してしまう寂しさというのがあるのです。町田康は、この「酒を飲んでいるときに見えるのとは別の寂しさ」を教えようとして、この本を書いてくれたのではないか、と。

たとえば上の「6」に引用した「これまで聞こえなかった音や見えなかった景色」というのは、なにも「美しい色とりどりの景色」という意味ではないのでは? それはむしろ、「えも言われぬ寂しさ」のようなものではないのでしょうか。

確かに、それを捉えそこねているのだとしたら、少しもったいないことかもしれない――。

ふと、わたしも「お酒をやめようかな」と思いそうになって、ギリギリのところでやめました。危なかった! 本書を読んだ今、これを思いついてしまったら、本当に実行してしまいそうです。どうしてやめないのかというと、正直なところ、わたしはまだまだ自分の自意識と戯れていたいのだと思います。

でも、たまにはお酒を飲まない日も作って、ほんとうの寂しさを味わってみようかな?

いやいや、それができたら苦労しませんね。そちらの寂しさはもう少し先、いよいよドクターストップがかかったときの楽しみにでも取っておこうと思います。

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せらまよ

関西の地で、文章を書いて暮らしています。 小説は文体で選び、聴くように読みます。 人生に疲れた時には哲学関係の本をよく読みます。 読書のほかには、クラシック音楽、珈琲とお酒が大好き。 いつかどこかで「本当に長居ができるお店」をひらくことが夢です。 執筆などのご相談は TwitterのDMまでお気軽にどうぞ。