傷つけるのがこわい。だけどつながりたい。:大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

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河出書房新社
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こんばんは、せらまよです。本日は、大前粟生による『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』をご紹介します。先日、3月14日に発売されたばかりの本です。

表題作「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」は、『文藝』の編集者から「全身全霊で女性差別に傷つく男の子の話を書いてください」と頼まれて完成したもの。そのほかに「たのしいことに水と気づく」「バスタオルの映像」「だいじょうぶのあいさつ」が収められています。

本当に「知っている人みんなに読んでほしい」と思う本なので、自分が読了したあとすぐにこれを書き始めました。少し長くなるかもしれませんが、お読みいただけたら嬉しいです。

誰かを傷つけるのが怖い

この作品集には、「他人を傷つけること」を恐れる優しい人がたくさん登場します。

七森の場合

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の中心的な登場人物は、七森という男子大学生。女子から「かわいい」と言われるタイプの、いわゆる「無害そうな」男子です。

高校生のときから七森は、クラスの男子たちが「男らしく」振る舞う様子に辟易していました。それにもかかわらず彼らに合わせて行動してしまっていた当時の自分のことを、かなり苦々しく思っています。

そして七森には、恋愛感情というものがよくわかりません。「男である自分が恋愛的で性欲的なアクションを起こすことで、女の子をこわがらせたり傷つけたりしてしまうのかもしれない」と思うこともあります。

七森はぬいぐるみと話すサークル「ぬいサー」に属していて、そこでは部員がそれぞれ好きなぬいぐるみに話しかけています。ぬいサーでは、他の人がぬいぐるみに話す内容を聞いてはいけません。それはプライベートなことだからです。こうしてお互いにほとんど干渉し合うことのないぬいサーの空間が、七森はとても好きです。「ぬいぐるみとしゃべるひとはやさしい。」そう感じています。

鱈山さんの場合

ぬいサーの副部長である鱈山さんも、優しい人です。

鱈山さんはサークルの創設者で、おそらく最年長者ですが、「男性である自分が部長をしていると女の子が入りにくいかもしれない、でも自分がいることで男の子が入りやすかったりするのかもしれない」と考えて、ずっと副部長でいます。本当はサークルのBOXにずっといたいけれど、体の大きい自分がBOXで寝ていたりすると、朝や夜中に訪れた部員がびっくりしてしまうだろうと考えて、そうしないでいるような人です。

彼もまた、人を傷つけることを避けています。

つらいことがあったらだれかに話したほうがいい。でもそのつらいことが向けられた相手は悲しんで、傷ついてしまうかもしれない。だからおれたちはぬいぐるみとしゃべろう。ぬいぐるみに楽にしてもらおう。

(「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」)

鱈山さんは、ある日SNSかニュースで見かけた銃乱射事件にひどく心を痛めて、ぬいぐるみにそのことを語りかけます。

初岡の場合

「たのしいことに水と気づく」の主人公である初岡も、誰かに近づきすぎることを恐れています。

繋がっているという時間は過ごしたかったから、私は観た映画やドラマや小説の話ばかりした。(中略)
作品の話をしていると、相手のなかに踏み込まないでいれた。踏み込まれないでいられた。

(「たのしいことに水と気づく」)

映画を通じて知り合った人と付き合い、結婚することになった彼女は、相手やその親の「距離の近さ」に動揺し、苦しんでいます。しかしその苦しみを誰にも打ち明けられません。人に気を遣ってしまうからです。そこで彼女は、「水」に対して愚痴を言ったり、自虐を言ったりします。

初岡は、SNSで悲惨なニュースとそれに対する反応を調べるのをやめられずにいました。それによって自分が傷ついてしまうとわかっているのに、調べてしまうのです。そうして、あらゆる行為について「それをしたら傷つく人がいる」という思いを強固にしてゆきます。同時に、「それをされたら自分が傷つく」という感情はどんどん置き去りになってしまいます。

傷つけることで傷つくのが怖い?

上に紹介した3人はみんな、誰かの傷つきを自分のことのように捉えてしまって、ひどく苦しむ人々です。だからこそ、自分は誰も傷つけたくないと思うわけです。

しかし、誰も傷つけまいとすることは、誰に対しても無関心でいるのと限りなく近いことです。彼らが「傷つけたくない」と強く思うとき、心のどこかで、無関心でいることを正当化しようとしているのかもしれません。誰に対しても無関心でいれば、自分も傷つかないで済むのです。

七森は、そんなに好きでもない白城という女の子に告白して、OKの返事をもらいます。そして、告白が成功したことよりも、自分の告白が相手を傷つけなかったらしいことに「よかった!」と感じます。そして、次の引用。

翌朝起きてまず七森は、白城の迷惑にならないでほんとよかった、ともう一度思った。それはつまり、自分が傷つかないでよかったということかもしれなかった。

(「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」)

わたしにはこの気持ちがよくわかります。誰かを傷つけることで、自分が傷つくのが怖い――特にここ数年、SNSのあり方が変わってゆくのと同時に、このような感情を抱くことが増えたような気がしています。

「誰も傷つけたくない。自分も傷つきたくない。だからできるだけ干渉しないでいるべきなんだ。」自分もそういう気持ちを抱くことがよくあるからこそ、七森の「優しすぎる」行動がいちいち突き刺さってくるのです。

七森はたしかに優しいし、倫理観にも共感できるところが多い人物です。けれども「優しすぎる」ということは、ある意味ではすごく傲慢なことなのかもしれない。そう思うと、胃がきりきりしました。自分がいかに優しすぎたか、つまり、いかに優しくなかったかを、七森を通じて思い知らされたのです。

「だいじょうぶじゃない」と言うために

しかし、そんな「優しすぎる」七森にも変化が訪れます。誰にも苦しみを話せなかった彼が、他人に「つらい」と言えるようになるのです。

このあたりは物語の核心なので、あまり触れないでおきますが、そこでキーワードとなっているのが「だいじょうぶ」という言葉です。(ちなみに、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」以外の物語でも、「だいじょうぶ」というワードが鍵となっているように思います。)

だいじょうぶ? と聞かれて、だいじょうぶ、と答えてしまうとき、本当には全然だいじょうぶではないことがありますよね。逆に、相手が「だいじょうぶ」と答えたとき、だいじょうぶではなさそうだと気づくこともあります。

そこで「不干渉」を貫くのであれば、相手の言葉を信じてそのままにしておくことになります。しかし、七森たちの物語では「だいじょうぶじゃなさそうだから、今から行くね」というアクションが起こります。

そのとき彼らは、今までの優しすぎる世界から抜け出します。相手を傷つける可能性を理解しながら、相手に干渉してゆきます。相手は本当にだいじょうぶなのかもしれなくて、もしそうであれば、自分の行動はただの迷惑になってしまうのに。

お互いに、傷つけて/傷ついてしまう恐怖の中を必死でくぐり抜けて、相手に会いに行く。それを積み重ねて、今度こそ「だいじょうぶじゃない」と言えるようになる。それが「つながる」ということなのかもしれません。そこに、「恋愛」という名前がついていなくても。

優しすぎない人の優しさ

さて、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」の登場人物のうち、「好きじゃないのに告白されてOKした」白城のことがわたしは大好きです。

白城は、ぬいサーの他にイベントサークルに所属しています。そこではセクハラ的な発言が相次いでいて、でも「現実はひどいことが起きるのがふつう」だから、そういう環境を白城は受け入れているし、SNSで性差別問題に怒る女性たちのことも批判します。ぬいサーに所属している理由については、それをイベサーで話すと男ウケがいいからだと言います。

そして彼女は、ぬいサーの中で唯一、ぬいぐるみとしゃべらない人です。(ぬいサーの人たちは基本的に他人のプライベートに干渉しないので、他人がぬいぐるみとしゃべるかしゃべらないかということにも干渉しないのです。)

七森は、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」と思います。では、ぬいぐるみとしゃべらない白城は、優しくないのでしょうか。

最初は、白城のことを「優しい」とは形容できませんでした。むしろ、七森のような人の繊細さに気づくことができない人だと思っていました。

でも、結末まで読んで、彼女に対する印象が変わりました。彼女は、本当はとても優しい人だった! ただ、自分がそれに気づけていないだけだったのです。

もしかすると、七森のような傷つきやすい人は、その優しさをわかってもらいやすいのかもしれない。しかし、白城のように強く見える人だって傷ついているかもしれません。傷つきやすさ、というか、「傷つきの見えやすさ」は、決して優しさとはイコールではないはずです。

そして、優しさにもいろいろあります。わたしはどちらかというと七森タイプなので、「干渉しない」「傷つけない」といった消極的な優しさばかりを評価してしまいがちです。しかし世の中には、ともすると「おせっかい」になるような、積極的な優しさを得意とする人がいます。

大切なのは、「どんな人も、どんな優しさも、同じくらい大切だ」ということ。当たり前のことかもしれませんが、わたしはこの本を読んで、やっとその「当たり前」に気づくことができました。

おまけ:書店で感じた悲しみのこと

さて、この先は物語の内容とは直接関係ない話です。でも、間接的にはとても関係のあることだと思うので、ここに書かせてください。

わたしはこの本を、用事のついでになんとなく立ち寄った書店で買いました。かねてから読みたいと思って注目していたので、理由なくふらっと入った書店でそれが一番目立つ場所に置いてあるのを見たとき、なんだかとても嬉しく感じて、今ここで買おうと決めたのです。

でも、嬉しくなかったのはその本が置いてある本棚のカテゴリ名でした。

「日本文学(男性)」そして「日本文学(女性)」

思えば高校生の頃、学校帰りに毎日寄っていた大きな書店でも、これと同じカテゴリ分けがなされていました。当時のわたしは、それを見るたびになんだかもやもやした気分になっていました。どうして、(男性)とか(女性)とかを付けるのだろうか。

しかし高校生のわたしが、それに対して何か意見を述べることはありませんでした。これほどの本を取り揃える書店が、こういうカテゴリ分けをするのだから、きっとわたしにはわからない正当な理由があるのだろう。そう自分に言い聞かせて、むりやり納得したつもりでいました。

でもやっぱり、大人になっても嫌なものは嫌なままです。わたしは今日ようやく、書店のこのカテゴライズに異議を唱えようと思うことができました。『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の中の、次の文章に共感したからです。

「男」と「女」は分かれてる、みたいなことばが、七森は苦手で、嫌いだ。(中略)

ひとのこと、「男」とか「女」じゃなくて、ただそのひととして見てほしい。

とてもシンプルで、ありふれたセリフのように見えるかもしれません。しかし、物語の中でこの内容が述べられたとき、「ああ、これは本当に、大切に守るべき感性なんだ」と思いました。

書店が行う「日本文学(男性)」「日本文学(女性)」のカテゴライズに、なにか事務上の利点があるのだとしても、やはりわたしには納得できません。

本屋さんに足を運び、たくさんの本の中からたったひとつの本と出会う。それは本当に尊い瞬間です。しかしその瞬間、棚の上部にふと目をやると、「男性」もしくは「女性」の文字が目に入ってくる。本と向き合う前に、その著者が「男性」なのか「女性」なのかを把握させられてしまう。これは本当に、良いことなのでしょうか。

そもそも、どうやって著者の性別を判別しているのかというところも疑問です。これまでわたしが好きで読んできた作家の中には、性別を明らかにしていない方が複数いました。そういう作家の作品を「男性」の棚に置くか「女性」の棚に置くか、どのように決まっているのか。そして、「男性でも女性でもない」という作家の作品は、いったいどこに置かれるのか。

この本を買って読み終わったあと、そういったことすべてが気になって、なんだかとても悲しくなってしまいました。そう、わたしは傷ついたのです。このカテゴリ分けを初めて見たあの日から、本当はずっと傷ついてきたのでした。

「男」と「女」は分かれてる、みたいなことばが、わたしも苦手で、嫌いです。そして、ひとのことを、「男」とか「女」じゃなくて、ただそのひととして見たいのです。しかし、社会の至るところで、それを妨げられてしまう構造が作られてしまっています。しかも、書店においてさえも!

そんな世界でこれからも生きてゆくには、どうすればよいのか。いろいろと考えた結果、自分が抱いたこの違和感を、こうして発信することにしました。

もしかしたら、ぬいぐるみに聞いてもらうだけでもよかったのかもしれません。社会とはそういうものだ、と納得しておけばよいのかもしれません。でも――「それでもいいけれど、そうでなくてもいいんだよ」と、この小説に勇気をもらった気がして、意見を述べてみることにしました。

自分が傷ついたということを表明するのはとても怖いけれど、それができたら、自分に自信を持つことができます。わたしは、この本の著者とすべての登場人物たちに、心から感謝しています。

おわりに

この本に収録されている物語には、本当の優しさがあります。それは、どんな弱さもどんな強さも認める姿勢です。

収められたどの短編にも、確かな結論や教訓は見当たりませんでした。だからこそわたしは、この本に助けられて、自分の傷つきを表明することができました。

いつかはわたしも、この本みたいな優しさを身に付けたいなあと思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

せらまよ

関西の地で、文章を書いて暮らしています。 小説は文体で選び、聴くように読みます。 人生に疲れた時には哲学関係の本をよく読みます。 読書のほかには、クラシック音楽、珈琲とお酒が大好き。 いつかどこかで「本当に長居ができるお店」をひらくことが夢です。 執筆などのご相談は TwitterのDMまでお気軽にどうぞ。