ほんとうの日常を描くエッセイ:イ・ラン『悲しくてかっこいい人』

わたほん読者のみなさま、こんばんは。せらまよ(@searmayo)です。今日は、エッセイ本をご紹介しようと思っています。

あなたは、エッセイを書いたことがありますか? さまざまな文章の中でも、エッセイというのは書くのがとても難しいタイプだと思います。毎日の出来事をそのまま書こうとするとそっけなくなり、かといって少しでも文章を「盛る」と、すごくわざとらしくなってしまいます。

でも、ここにありました。わたしたちがほんとうに送っている日常を、その空気ごと描き出すことに成功しているエッセイが。それは、イ・ラン(著)、呉永雅(訳)『悲しくてかっこいい人』です。

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誰が書いたどんな本?

『悲しくてかっこいい人』は、韓国のシンガー・ソングライター、コミック作家、映像作家、 イラストレーター、エッセイストであるイ・ランによる「ひとりごとエッセイ」。2016年に韓国で発売されてヒット作となった『대체뭐하자는인간이지싶었다(原題:いったい何をして生きている人間かと)』の邦訳版です。

特別な出来事ではなく、あくまでも日常を通して「自分は何者なのか」を見つめるような、73篇のエッセイが収められています。

わたしが彼女のことを初めて知ったのは2016年ごろ。Youtubeで《世界中の人々が私を憎みはじめた》という曲を聴いたのがきっかけでした。

この曲を初めて聴き、その歌詞を味わったとき、本当に衝撃を受けました。「生活」と「人生」との間を、これほどなめらかに行き来できる人がいるのか! と。そしてすぐにファンになって、彼女のSNSをフォローしました。

エッセイ『悲しくてかっこいい人』においても、先程の楽曲『世界中の人々が私を憎みはじめた』でわたしが感じたような側面――つまり、「ありきたりな日常」から「人間存在そのもの」へと一気にワープして、またいつの間にか戻ってくるような、イ・ランの表現に独特の心地よい感覚を、存分に感じることができます。

日常は悲しいし、悲しみはそんなに単純じゃない

この本を読んで一貫して感じるのは、わたしたちが送る日常に通底している「悲しみ」の存在です。でも、それは決して、単なる感情の一種としての悲しみではありません。むしろ、楽しさやおかしさや怒りや苦しさなど、人間が抱きうるあらゆる感情をまるごと包み込んでしまうようなもの、それがこの本に染み渡っている「悲しみ」です。

その「悲しみ」は、著者自身が書いているように、人間という生き物が絶対にいつか死んでしまうという事実から生まれているようです。わたしたちの毎日は、それらがどれだけ平凡であっても、寿命という巨大な運命に対する戦いの、あるいはその受容過程の一部です。

よく言われることかもしれませんが、「人生」というのは、ひとつひとつの「日常」の集合体です。誰かの生き方をほんとうに知りたいのなら、ドラマティックな伝記物語ではなく、その人が付けたなんでもない日の日記を読む必要があると思うのです。本書は、そういう意味でまさに日記的な書籍です。日記を読めば、その人が、人間の「悲しみ」とどうやって付き合ってきたのかがわかります。生き方とは、本質的には、悲しみとの付き合い方なのかもしれません。

自ら問うて苦しむ、それが楽しい人生

「悲しみ」のほかにもうひとつ、本書のキーワードを挙げるとすれば、それは「問い」でしょう。この本には、日々を過ごす中で無限に湧き出てくる「問い」と、それらに応答しようとして生まれる「もがきの痕跡」が溢れています。

問う、ということは、ある意味では苦しいことです。何に対しても疑問を抱かず、なりゆきに従うことができればどんなに楽でしょうか。

しかしこの本を読み進めているうちに、別の感情が湧いてきます。「問いを発してそれに答えようと苦しんでみるのも、なんだか楽しそうだ」と。

楽しい人生のイメージといったら、毎日笑顔で自然と踊り出してしまうような、そんなものじゃないと思う。むしろ、しかめっ面に近いとでも言おうか。例えばこの文章を書いているわたしの表情みたいに。何かを考えて、それを書いて、また考えて、行き詰まったら友人と話をして、また考えを整理して書く。この文章のタイトルを考えて挿絵はどうしようかと悩む。そうやってひたむきに一ページを作り上げた後の気分は「楽しい」。

上の引用は、1ページの文章を作り上げる楽しさについて書いているようですが、わたしには人生を作り上げる楽しさについて語っているように思えます。

いつもと変わらぬ日常の中でちいさな疑問を抱き、そのことについてあれこれ悩んだり考えたり、誰かに相談したり、関係のない雑談をしたりしながら、自分なりの結論を出してみる。そうしたらまた新しい問いが生まれてくる……その繰り返しが人生ならば、それは苦しいけれども、きっと刺激にあふれる、楽しいものでもあるでしょう。

自分という人間を経験する

日常を過ごす中で、尽きることのない問いに答え続けるうちに、自分という人間の新たな側面が発見されることもあります。

まったく、どんなに経験してもわたしという人間は不思議な生き物だ。

「生活」とは、自分という人間を日々経験する営みであり、同時に、「自分は何者なのか」についてのヒントを集めてゆくことなのかもしれません。そう考えると、つまらない日々のやり過ごし方も、なんとなく見えてくるような気がします。

さて、人間に生まれてしまった悲しみを、今日はどうやって楽しんでやろうか?

あなたも、一緒に考えてみませんか。

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せらまよ

関西の地で、文章を書いて暮らしています。 小説は文体で選び、聴くように読みます。 人生に疲れた時には哲学関係の本をよく読みます。 読書のほかには、クラシック音楽、珈琲とお酒が大好き。 いつかどこかで「本当に長居ができるお店」をひらくことが夢です。 執筆などのご相談は TwitterのDMまでお気軽にどうぞ。