美しい恋愛小説 平野啓一郎 著『マチネの終わりに』

こんにちは。長かった冬もようやく終わりが見えてきて春の日差しを感じられるようになってきた今日この頃ですね。

今日はそんなポカポカとした春の日差しを感じながらゆっくり読みたい大人の恋愛小説、平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』をご紹介させて頂きます。2019年に映画化され、話題となった『マチネの終わりに』。ぜひ原作で大人の恋愛の切なさをご堪能ください。

マチネの終わりに / 平野啓一郎 ヒラノケイイチロウ 【本】

登場人物とあらすじ

登場人物

・蒔野聡史…若い頃からその才能で聞く人を魅了する世界的天才ギタリスト。国内外で認められる演奏家となったが、デビュー20周年を迎え、自分の音楽を見出せずスランプに陥る。38歳・独身。

・小峰洋子…パリの通信社に勤務する知性と正義感を兼ね備えたジャーナリスト。40歳の日系アメリカ人の婚約者がいる。

・三谷早苗…蒔野の演奏に一目惚れし、ファンになる。その後蒔野のマネージャーになり、彼と行動を共にするように。彼の生み出す音楽に熱狂している。30歳・独身。

あらすじ

とある蒔野のコンサートの打ち上げで蒔野と洋子は出会う。2人が一緒に過ごした時間はほんのわずかな時間ながら一気に2人の心の距離は縮まり、お互いを意識するようになります。

出会った当初、洋子には婚約者がいたものの、蒔野は溢れる思いを抑えることが出来ず、洋子に思いを告げる。洋子は婚約者と蒔野との関係で思い悩むが、婚約者と別れ蒔野と一緒になることを決意することに。

蒔野が暮らす日本で久しぶりの再会となるはずが、2人の関係性に気付いたマネージャー三谷の手によって2人の運命の歯車は狂い始めます。2人の間に生じてしまった溝を深めるのは三谷なのか、それとも2人が奥底に持っている不安な気持ちなのか。

連絡が途絶えてしまったことでお互いの関係に見切りを付け、再び各々の道を歩き始めた蒔野と洋子。

2人が夢見た未来を描くことはもう不可能なのでしょうか?

また2人が笑って出会える日は来るのでしょうか。

大人の恋愛って素敵

純恋愛をテーマにした作品はこれまでに何冊か読んできましたが、ここまでグッと胸を掴まれる作品はありませんでした。この物語に心を掴まれたのは、扱われているテーマが「大人の恋愛」であり、私も大人になり、結婚をし、世の中の様々なことがわかって来たからかも知れません。

加えて大人になるに連れて、「愛ってなんだろう」と深く考え込んでしまい「私は今、前のめりになってしまっているのかも」「これはきっと私の思い違いに過ぎない」と、相手が勇気を出して差し出してくれた愛を素直に受け取れないあまのじゃくが顔を覗かせる機会が増えてしまったのも影響するのではないでしょうか。

 

海外で暮らす洋子と日本で暮らす蒔野が直接会って会話をしたのは3度だけです。

遠い距離を超え、運命を感じる2人ですが、やはり「あれはやはり私の勘違いかも知れない」「あの時はその場の空気でそうなっただけなのかも知れない」と慎重になってしまい、次第にすれ違ってしまいます。

大人になればなるほど、自分の気持ちより相手の都合や他人からの見え方を気にしてしまい、大胆になれない。そんなことを私も経験したからこそ、登場人物の気持ちが痛いくらい伝わったのでしょう。

年齢を重ねるごとに恋愛に対して臆病になってしまうものの、この恋愛が最後の恋愛かも知れないと自分の人生の勝負をかけるように大胆になってしまう。そんな2人の心の葛藤がとても心に響きました。

三谷の行動とトロッコ問題

蒔野のマネージャーの三谷は蒔野と洋子、2人が思い合っているということに気づきます。以前より蒔野に対し恋心を抱いていた三谷は2人の久しぶりの再会に嫌悪感を覚え、2人の運命の歯車を狂わせるような行動を起こします。

私はこのシーンを見て、有名な二者択一問題であるトロッコ問題を思い出しました。

トロッコ問題とは

・暴走したトロッコがこっちに向かって来ます。このままでは、レールの先にいる5人の作業員が轢かれてしまうことに。自分の前にはスイッチがあり、暴走トロッコの進路を切り替えることが出来ます。しかしながら切り替えた先では別の作業員1人が轢かれてしまう。

このままのトロッコの暴走を見守り5人の命を犠牲にし、1人の命を救うのか、それとも切り替えスイッチを押し、5名のために1名の命を犠牲にするのか、という有名な問題です。皆さんも恐らく一度は耳にした事があるのではないでしょうか。

私はトロッコ問題では自分が手を出さなければ、ただの事故、手を出してしまうと殺人と責任の所在が発生してしまうと考えています。

あの日、あの時、あの出来事が起こらなければ蒔野と洋子の2人はそのまま思いを温め続けることが出来たのでしょうか。それとも現実の問題に直面し別々の道を歩むことになったのでしょうか。それは誰にも分かりません。ただ、三谷が手を出さずに2人が破局するのと、三谷が手を出して破局してしまったのでは2人のその後の人生に残る傷跡の深さや意味合いが大きく異なります。

三谷はこのまま蒔野と一緒にいたい、スランプを抜けた先にあるであろう素晴らしい蒔野の音楽に寄り添い続けたい。そのためには蒔野に今の苦しいスランプを抜けて欲しい、そのためならどんなに辛くとも蒔野と一緒に居ることは問わないと三谷は蒔野の苦悩の解消を自らのことのように切に願っていたに違いありません。

そして蒔野を支える三谷はスランプに陥っているにも関わらず洋子に現を抜かす蒔野を見て気を揉み、2人の関係性を大きく変えてしまうような過ちを犯してしまいました。愛する洋子とも別れてしまった蒔野の今後の人生を全て背負って立たねばいけない、という責任をきっと三谷は感じたのでしょう。

蒔野の人生と共に、洋子の人生にも大きな影響を与えた三谷。2人の人生を背負った三谷は果たして本当に幸せなのだろうかと感じてしまいました。これが本当に三谷にとっての幸せであるならこんなに悲しい幸せはないと思います。

この世の勝者とは?敗者とは?

蒔野との関係を経った後、久しぶりに日本に帰国した洋子。

偶然蒔野のコンサートが行われていると知った洋子はチケットを手に入れ、会場へと向かいました。しかし、マネージャーの三谷(蒔野の妻となった)が洋子を発見。三谷は洋子をカフェへと誘います。

そのカフェで三谷は洋子に聖書の一部についての解釈の意見を求めたのです。

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。
すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。
マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」

主はお答えになった。

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

ルカによる福音書 一〇章三八―四二節

きっと三谷はこの一説を

キリスト…蒔野
マリア…洋子
マルタ…三谷

と想定して捉えたのでしょう。

三谷は過去に蒔野と洋子を引き離す、という過ちを犯しています。洋子の人生から蒔野を奪った瞬間、恐らく三谷は洋子に対し恋愛の観点から見ると勝者であったに違いないと思います。対する洋子は三谷の手によって蒔野を奪われてしまった敗者であると言えます。

しかし、三谷は蒔野と一緒に過ごす過程で、自分は勝者ではなく、敗者であるということに気付いてしまったのです。どうして蒔野のために一番尽力しているはずの自分が、蒔野から一番に選ばれず、何もしない洋子が蒔野に選ばれ、いつまでも彼の心に残っているのかと。何も自分で努力せずのんびりと蒔野の側に居られる洋子の気持ちについて皮肉を込めて聞いてみたかったのでしょう。

このマリアとマルタに関する三谷と洋子の意見のやりとりを聞いていると、それぞれにキリスト(蒔野)へ対する思いがあるのだなと感じました。マリアとマルタ、洋子と三谷、どちらの愛情表現が素晴らしい、どちらが本物の愛と呼ぶにふさわしい、ということは判断出来ませんが、この世を違った側面から見たときの「勝者」と「敗者」を見たような気がします。

三谷は洋子が恋愛の勝者であり、自分は敗者だと感じているのかも知れませんが、洋子の側面から見ると、自分の身を犠牲にすることがあったとしてもそれを受け入れ、どんなも蒔野に寄り添い続けられる三谷をやはり勝者と感じてしまうのかも知れません。

あなたは三谷と洋子、どちらがこの恋愛の勝者であると感じますか?

おわりに

恋愛の最初の動機は「1秒でも長くその人の笑顔を見ていたい、その人の側にいたい」のような小さく淡いものだと思います。

その小さな期待がどんどん膨らんでいくことによって、他人をも巻き込んでしまい、自分でも取り止めのつかない気持ちになってしまうのでしょう。人の心は目に見えず、分からないとは昔からよく言われたものですが、目に見えないからこそ信じたい、信じたいけれども不安になる。不安になるからこそ居丈高な態度をとってしまう。そんな今も昔も変わらない心理が描かれていました。

甘く柔らかい愛情と同時に渦巻いたような苦悩にも似た愛情を感じ取れる、まさしくいろんな表情を持った大人の恋愛が描かれている1冊だと思います。

マチネの終わりに / 平野啓一郎 ヒラノケイイチロウ 【本】

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わたほん編集者。子どもの頃から本が好き。日々の忙しさに負けて本から離れた時期もあったけれど、結局本に癒され、本に励まされ、本からたくさんのことを学び、立ち上がってきました。私である意味を、存在する意義を与えて問いを投げかけてくれるのは本。