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こんにちわ、さっちーです

9月から新しい職場で働き始めたさっちーです。どこの職場に行っても「あ…、この人ちょっと苦手だわ…」という人は必ずいますよね。
働き始めてまだ2ヶ月の私にも「あぁ、今日はこの人と一緒のシフトなのか…」と思わせてくれるような、そんな人がいます。
これまでの人生を振り返って、「人間関係で超絶苦しむ」という経験はないものの、出来ることならみんなと仲良く仕事がしたいと思い、この本を手に取りました。
あなたには自分が気付いていない問題がある?
日常で…
・駐車場にゴミが落ちていても後から帰ってくる旦那が拾ってくるだろうと思ってそのままにすること
・犬がいたずらをしているのを見ていたのに止めずに、留守の時に犬がやったと言ってしまうこと
仕事で…
・他の同僚や後輩を軽蔑したり、怠け者だと思ったり無能さを嘆いたりすること
・皆で力を合わせてやらなければいけないのに、一人だけ手を抜いてしまうこと
・周りの人に調子のいいことを言って自分の思い通りに動かそうとすること
あなたも身に覚えがありませんか?
この問題のやっかいなところは、周りの人は「あなたに問題がある」とわかっているのに、あなたは「その問題に気付いていない」こと。
問題の原因は『箱にあった』
上記のような周りの状況が全く見えておらず正しい判断ができない状況、言い換えれば人を人として扱わず、物として見ている状況を精神科の言葉では自己欺瞞(じこぎまん)と読んでいるそうです。
【自己欺瞞】だととても難しいイメージになってしまうので、この本では【箱に入っている】という表現を使っています。
箱に入るとどうなる?
箱に入ってしまうと現実世界の出来事を、箱の中の歪んだ考え方で捉えてしまうようになります。
例えば、赤ちゃんが夜中に泣き出してしまい、その声で起きた夫。夫は「どうしたのかな。様子を見に行ってあげよう」と思います。ですが、横に目をやるとそこには我が子が泣いているのにも気付かず寝ている妻が。
泣いている我が子をあやさずに寝ている妻を見ていると、次第に夫は妻に対して「妻は育児放棄している」「妻は怠けている」「妻はだらしがない」と思ってしまうのと同時に「私は明日大事な仕事があるのに」「私は仕事に責任を持っている」「私の仕事に支障をきたしたらどうしてくれるんだ」と自分をあたかも妻よりも重要な人間であると過大に評価してしまう。
現実の世界で起こったことは「夜中に赤ちゃんが泣き出してしまった」ただそれだけなのに。
どうして人は箱に入ってしまうの?
箱に入ってしまう理由の一つとしては「自分の感情に背いてしまったから」というのが挙げられます。
先ほどの夜中に泣き出した赤ちゃん。この赤ちゃんが泣き出す前は妻の事を「育児放棄している」「怠けている」「だらしがない」と思ってはいなかったはず。それと同時に明日の仕事に対する重大さも大きくなく、私の存在を責任あるものとしても捉えていなかったはずです。
自分の気持ちに反した行為、【赤ちゃんの様子を見に行こうと思ったのに行かなかった】結果、夫は妻に対して箱に入ってしまいます。
夫はは自分の間違った行動を正当化するために妻の欠点を大げさに仕立てあげたのです。
自分の気持ちに背いた行動をとると箱に入ってしまいます。
箱から出るにはどうしたらいい?
箱から出るには
・誰かに何かをしてあげたいと思ったらその気持ちを大切にすること
・自分が他の人に対してなすべきだと感じるその感覚を尊重すること
・自分が間違っているのかも知れないと改善点を探すこと
が必要だと本書の中では説いています。
人を人として扱わず、物として見ている状況を自己欺瞞(じこぎまん)と呼ぶ。と冒頭に書きましたが、目の前の人を一人の人間として接する、その時に人は箱の外に出る事ができます。
さっちーに刺さった一文
私は自分の間違った行動を正当化するために相手の欠点を持ち出した。それは私がしていることで相手がしていることとは関係ない。
付き合った当初は何とも思っていなかった彼の行動が、冷めてくると何かにつけて勘に触るようになってしまうこと、ありませんか?この現象もまさしく「私が正しい」と思うために相手を悪く、大げさに感じてしまっていたんです。
彼は付き合った当初から何も変わっていなかった、変わった(箱に入ってしまった)のは私の方なのに…。ごめんね。
自分が箱に入っていないかもう一度思い返そう
この本の中ではもっと具体的な箱に入っているイメージや、箱に入ってしまった人同士の結末、箱にいる時に、しても無駄なこと、箱から出るための苦悩、箱から出た後の気持ち良さを綴っています。
本書の中で「相手を責めている場合には必ずこちらが箱の中に入っている」という一文があります。読んでいてハッとしたこの一文を心に留め、日常生活でも箱に入っていないか意識しながら過ごそうと思います。