こんにちは。ミズエ(@osoranokanatahe)です。
『マチネの終わりに』を読んで、平野啓一郎さんのファンになった人も多いのではないでしょうか。
わたしもその一人。
今回は平野啓一郎さんが恋愛を主題に扱っているもう一つの小説『かたちだけの愛』をご紹介します。
物語
恋愛観
「あなたにとって、愛ってなんなの」
別れた妻の言葉を回想するところから始まるこの物語。
「愛とは何か」という問いが不思議と心に沁みつくオープニングだ。
主人公の名前は相良郁哉。プロダクト・デザイナーで、身のまわりの生活用品一般のデザインをしている。
様々な偶然を経て、交通事故で左足を切断し、人生を一変させた女優、叶世久美子の義足を作ることになる。
少しづつ親密になり、やがては恋に落ちる二人だが、単純にはハッピーエンドへと進んでいかないのが、物語として面白いところだ。
先に愛し始めた人間にとって、恋愛は常に、神秘的な人事問題である。
それは、たった一つしかないポストを前にして、ライヴァルに出し抜かれ、理不尽な評価に愕然とする勤め人の懊悩と、恐らくは相通じるものである。
叶世の過去の恋愛が、ふたりの恋を順風満帆には進ませない。
それは、ときに相良に激しく動揺をもたらす。
叶世久美子が揺らぎながらも抱く恋愛観も、相良を深い思索へと誘う重要な役目を果たしている。
愛にはなるほど、常識的に考えても、利他の感情と利己の感情とが絡み合ったものだが、相良が理解しそこなっていたのは、人は、利己心が相手の中にまるで見えない時にも、自分が本当に愛されているかどうかを、深刻に思い悩むものなのだということだった。
筆者が相良を通して語らせる、愛に対する考察が、物語のところどころに散りばめられており、それがこの作品を非常に興味深いものにしている。
親との葛藤
恋愛というテーマ以外に、読者の心を打つのは、相良とその家族の物語だ。
冒頭、相良の元に届けられた亡き母の遺骨。
相良の両親は、小学生の頃に離婚している。
その後母は音信不通となっていた。
離婚の原因となった母の男癖の悪さが、相良の心に暗い影を落としている。
理沙との会話で、相良は、これまでずっと気づかないふりをしていた、彼自身の幻痛を意識した。
母がいなくなったとき、彼はやはり深く傷ついていたが、その切断された関係の断端をどうすべきかは、ずっとわからなかった。
帰郷の際の父との会話、同級生理沙との再会を通して、相良は忘れかけていた心の傷と向き合うことになる。
それは、結果的に、より深く、愛とは何かについての思索へと相良を導いていく。
終わりに
平野啓一郎さんは、『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義』という批評・エッセイ集の中で、本作品の目的を以下のように語っています。
中略 わたしは今回、どちらかというと、恋よりも、その後の愛に関心があった。
小説としては、起伏を欠いて描きにくいテーマだが、どうして、結ばれ合った二人が、そのあと、共に生きていくのか、どうして人は一人で生きていくことが出来ず、といって、不特定多数との乱脈な交際にも飽きたらずに、誰かと長い年月を過ごしたいと望むかを深く掘り下げて描きたかった。
「愛とは、結局のところ、何なのか。」
この問いを意識して読むことで、よりいっそうこの作品を深く楽しめると思います。
恋とは何か、愛とは何かを考えてみたい人に、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。
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