あの人、本当はこんな人でした。塩野七生 著『サロメの乳母の話』

こんにちは、のいです。何日か休みが続き、本をたくさん読んでいます。というわけで2018年最後の書評は大好きな小説『サロメの乳母の話』で締めくくりたいと思います。この小説は電子書籍版が出ていなくてなかなか書評まで行き着けませんでした。今回再読し、書評できて嬉しいです。

歴史の見方を変えた本

子供の頃、神話が好きで、そして歴史が大好きでした。里中満智子さんの「漫画ギリシア神話」が好きすぎて、漫画持ち込み禁止の小学校に行く前にどうしても読みたくて、トイレに引きこもって読んでいたら母に怒られたことを今も思い出します。(その時読んでいたのはメデイアの話でした。怒る母が魔女に見えた)世界の学校の図書室で読んだ漫画の世界史や日本史も好きだったし、「ベルサイユのばら」みたいな歴史漫画も、小説もドラマも映画もみんな好きでした。日本史も好きだったけれど、世界史、特にヨーロッパ史が格別に大好きで、フランス革命が一番お気に入りでした。自分が存在していなかった時代にもちゃんと人がいて色々なことが起こっていたという事実が面白くて、また、そんな昔に起こったことが今の自分に影響しているということが不思議でした。

子供の頃にそうやって歴史に関連するものに触れている時、いつも疑問がありました。それはいつも同じ人が主人公になること。神話は元々ストーリーになっているから、主人公が決まっているのはわかります。でも歴史は実際に起きた事で、世界にはたくさんの人がいるのにどうして主役級は決まった人物で、キャラ付けもだいたい一緒なんだろうと思うと不思議でした。でもまあ、きっと手紙とか記録が残っていて、その人の性格とか、やった事から考えたらみんな同じようなところに行き着くのかなあとぼんやり考えていました。

『サロメの乳母の話』はそんな時に読んで、歴史の見方がガラッと変わった作品です。私がぼんやり疑問に思っていた事への答えが形になって、ポンと現れたようでした。この小説を読んで、「歴史って本当に面白い」とつくづく思いました。

成長するにつれて、隠れた歴史の立役者を探したり、色々な出来事の細部を専門に研究している人もいるのだということや、大体、歴史というのは時によって見方すら変わっていくのだということを知ることになりました。また、歴史小説というのは純粋な学問としての歴史とは違って史実が変わっていたり、エンターテイメント性を強くしているものなのだということも知りました。

『サロメの乳母の話』は、私にとってそういうこと全ての入り口になった作品です。この本を読んでから、歴史が一枚岩のストーリーではなくて重層的に重なっている、生きたものなのだということを知り、またその素晴らしさを学びました。

この本を読む前に

作者の塩野七生さんは『ローマ人の物語』『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』など、有名作品も多い歴史小説の大家(たいか)なので、ご存知の方が多いかと思います。『サロメの乳母の物語』は塩野さんの王道作品から少し外れた短編集で、歴史上の偉人、有名人の身近にいた人々がその人物についてちょっと変わった目線で語るという構成になっています。イタリアに関する作品が多い作家ですので、登場人物もイタリア人が多いです。語られている登場人物と、語り手を( )で載せておきます。一般的なイメージも軽く付け加えておきます。

登場人物
オデュッセウス(妻による)トロイア戦争の英雄の一人。戦後家に帰るまでの旅路十年間の苦労を描いた冒険物語はオデュッセイアとして大変有名。

サロメ(乳母による)聖書に出てくる姫。踊りの見返りに洗礼者ヨハネの首を求めたエキセントリックな少女としてよく描かれる。

ダンテ(妻による)「神曲」の作者。ルネサンス時代に生きたイタリア人。ベアトリーチェという実在の女性に憧れ続け、神曲にモチーフとして出てくる。

聖フランチェスコ(母による)中世イタリアの聖人。貧しい人や病人を助けたという。自然を愛し、動物と心を通じた。

ユダ(師による)聖書に出てくる、キリストを裏切った弟子。

カリグラ帝(ペットの馬による)悪行三昧のローマ皇帝

アレクサンドロス大王(奴隷による)古代マケドニアの大王。戦に優れていた。

ブルータス(師による)「ブルータス。お前もか」のブルータス。カエサルを殺した。

キリスト(弟による)12/25にはお誕生日おめでとうございました。

ネロ(双子の兄による)悪行三昧のローマ皇帝その2

最後の「饗宴・時獄篇」には歴史に名を轟かせる女性たちが総出演しています。

ちょっと最後の方の解説が雑になりましたが、どうです、面白そうでしょう?どの人物も超ビッグネームです。『サロメの乳母の物語』は読む前に、ある程度古代ギリシア・ローマ史や「ギリシア神話」と「聖書」の知識があると面白さが倍増しますが、なんとなくのイメージで読んでも面白く読めると思います。私、ダンテの「神曲」なんて影も形も知らない頃に読みましたが面白く読めました。

サロメの乳母の物語

表題作になった作品を少し紹介します。

お姫様については、それはもう、たくさんお話しすることがございますよ。あのお方ほどまちがった噂でかためられた方も、そうそうはいないでしょうからね。

こんな言葉で始まる物語。聖書に登場するサロメ姫ですが、実は聖書そのものでは名前も記載されておらず、それほど重要な役割ではありません。ただ、若く美しい姫が踊りの褒美に預言者の首を要求するというストーリーが多くの人の興味を惹き、たくさんの芸術作品のモチーフになってきました。

Apparition.JPG

絵画はもちろんのことながら、1893年にオスカー・ワイルドの書いた戯曲ではサロメが褒美にもらったヨハネの首にキスをするという衝撃的演出があり、この変態ちっくな路線がその後のサロメというキャラクターを形作ったと言えると思われます。その後、リヒャルト・シュトラウスが同戯曲を元に「サロメ」というオペラを作りましたが、これも当時としてはかなり攻めた作品で、賛否両論大ヒットを飛ばしました。(ちなみにこのオペラの中でもサロメは難役として有名だそうです。歌もさることながら、「7枚のヴェールの踊り」というベールを一枚一枚脱いでいくダンスもあり、さらには演技力も要求されます。すごいね)

まあ、まとめると、サロメは

 

・美少女

・サディスティック

・変態

という感じの描き方をされるのが通常だと思います。そこに塩野七生がどう挑んだかというと、これが大変面白いのです。塩野七生はサロメの父親、ユダヤ王ヘロデが政治的苦境に陥っていたことに注目します。ローマ帝国側からはヨハネを処刑しろとせっつかれ、しかし預言者を処刑してしまったらユダヤの国民が黙っていない・・・。そんな時、ローマの役人たちがユダヤにやってきます。サロメが参加した宴はそんな状況の中で開催されたのでした。

宴は、ヘロデ王の心遣いにもかかわらず、たいしてローマからの客人を喜ばせたようには見えませんでした。世界の首都ローマからすれば、ユダヤは辺境の田舎。ユダヤの王の宴とはいえ、なんとしても田舎っぽさはぬぐいきれないのです。

唯一目に止まったのは娘のサロメの美しさだけ。なんとか力を誇示しようとして、ヘロデ王はサロメに踊りを所望します。

そして褒美に何が欲しいかを聞かれたサロメはこう答えます。

「ヨハネの首がいただきとうございます」

広間中が、言葉にならないどよめきで満たされました。ローマ人たちは、知っていたのでございます。ユダヤ中が騒然としている原因が、なんであるかを。そして、王がしようとしてもできないことを、舞の褒美という形でやることで、ユダヤの国を救おうとしているのがサロメさまであることを。

なんと鮮やかな。塩野七生はサロメを、官能的で衝動性の強い頭のおかしいお姫様から、賢く機転が利く聡い女性に解釈し直したのでした。

他の短編も大変面白いです。私のお気に入りは、最後に収録されている「饗宴・時獄篇」。クレオパトラやトロイのヘレナ、マリー・アントワネットたちが地獄で女子会を開催している様子を描いています。

最後に

最近どこかで、塩野七生さんの『ローマ人の物語』を歴史的資料として使おうとする学生がいて、それは困る、というような内容の記事を読みました。確かに、これらは物語として筋を組み替えた「小説」ですから、資料にはなりません。ただ、それを逆手にとった「サロメの乳母の話」のような本を読むのは大変楽しいことです。先人たちが築いてきたものに対しての興味を喚起させ、そこにあるスタンダードをいい意味で壊してくれる小説です。ぜひ、どうぞ!そして皆様、良いお年を!

 

ABOUTこの記事をかいた人

埼玉県出身、東京- NYを経て、今はミシガン州立大学で音楽学部の博士課程に在籍中。 専攻はピアノ。 よく読むジャンル→ミステリー、ファンタジー、エッセイ、恋愛もの、歴史物、伝記、ノンフィクション、児童書 アメリカ中西部でピアノを弾いたり音楽について学んだり書いたり教えたりしています。 本を読んで現実逃避して寒さに耐えています。