こんにちは、のいです。皆様お久しぶりです!今週から書評を再開することが出来て嬉しいです。しかし二週間休んでいただけでWord Pressの使い方があやふやになっている・・・。書きながら思い出していきたいと思います。
今回は平野啓一郎さんの新作、「ある男」について書きます。特設サイトもオープンしています。平野さんの作品はこれまでに「葬送」「空白を満たしなさい」「マチネの終わりに」、また、平野さんが提唱される”分人主義”について書かれた「私とは何か『個人』から『分人』へ」を読みました。(はなこさんが書評を書かれています)どの作品もかなり作風が違うものの、根底にいつも深い洞察と知性を感じ、読むたびに感銘を受けています。「マチネの終わりに」は今度、福山雅治さんと石田ゆり子さんを主演に迎えて映画化もされるそうで、ワクワクしてしまいますね。またショパンの晩年について書かれた素晴らしい小説「葬送」についてはいつか書評を改めて書く事にしたいと思います。また、作品とは直接は関係ありませんが、TwitterやFacebookなどでも幅広いジャンルについて発信されており、よく拝見しています。
「ある男」の物語

あらすじ
弁護士の城戸はある日、かつて離婚訴訟を手伝った女性里枝から連絡を受ける。彼女は別の男性と再婚していたのだが、その夫が突然の事故で亡くなり、その上奇妙な事態に巻き込まれていた。「谷口大佑」という名だった夫が、戸籍に登録されていた人物とは全く違う人物だということが、夫の兄によって判明したのだ。亡くなった夫は実際には誰だったのか。戸籍に登録されていた本人はどうしたのか。依頼を受けた城戸は調査を始めるのだが・・・。
この小説は、作者である平野さんがバーで出会った「城戸さん」という人物をモデルに小説を書こうと決める、というメタフィクション的な始まり方をします。「マチネの終わりに」でも同じ手法が取られていましたが、私はこの現実と虚構が入り混じった始まり方が好きです。この小説は「今現在」の話なのだということを最初にはっきり印象付けてくれます。また、ここで平野さんが書く「物語の主人公にふさわしい人物像」も面白いです。
波瀾万丈の劇的な人生を歩んできた人の話を聞くと、これは小説になるかもしれないと思うし、中には「 小説に書い てもいいですよ。」 と微妙な言い回しで自薦する人もいる。しかし、いざ、そうした派手な物語を真面目に考え出すと、私は尻込みしてしまう。多分、それが書ければ、私の本ももっと売れるだろうが。私がモデルを発見するのは、寧ろ以前から知っている人たちの間である。私も、関心のない人とは出来るだけ交際したくないので、長く続いている関係には、 何かあるのである。そして、ふとした拍子に、突然、あの人こそが、捜し求めていた次の小説の主人公なのではと気がつき、呆気に取られるのだった。
平野啓一郎. ある男 (Kindle Locations 54-60). 株式会社コルク. Kindle Edition.
派手で目を引くものよりも、語られない誰かについての物語を語ろうというのはこの小説の中で大事な核でもあると思います。
物語の主題は「愛」である
そうなると、僕たちは誰かを好きになる時、その人の何を愛してるんですかね?…… 出会ってからの現在の相手に好感を抱いて、そのあと、過去まで含めてその人を愛するようになる。で、その過去が赤の他人のものだとわかったとして、二人の間の愛は?
平野啓一郎. ある男 (Kindle Locations 3634-3637). 株式会社コルク. Kindle Edition.
ここを読んだ時、うううんと唸ってしまいました。読み方によってはミステリー、社会派作品にもなる「ある男」ですが、根底に流れるテーマは「愛」であるとのことです。「マチネの終わり」を読んだ時も、「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。」という下りにとても感心しましたが、平野さんの時間の捉え方からはいつもインスピレーションをもらいます。何がいいって、こういう問いって絶望的な答えを出しがちになると思うんです。例えば私だったらこの問いに対して、直感的に「愛は消えます」と考えてしまうと思うんです。でも平野さんの小説にはいつも救いを持った答えが用意されていて、それを読むと「そうか、人生はこんな風にも捉えられるんだな」と思わせてくれます。優しさを持って生きるのはいかに難しく、しかしいかに大事なのか。平野さんの小説を読むといつも考えさせられます。
声を持たない人のための声、として機能する小説
本作の主人公の城戸は在日韓国人で、その設定がかなり作中でも重要になってきます。私が「ああ、この小説は今、私たちが生きている現代を描いたものなんだ」と一番思わされたのがこの設定でした。インターネットの書き込みを見るとあまりにも差別的な書き込みが多くてうんざりするのでいつもは見ないようにしているし、ほとんど友人との話題に上がることもないのですが、本屋さんに行くと信じられないようなタイトルの本が平積みにしてあったりする事にとてもストレスを感じていました。それと同時に、「こういったものとはどうやって闘っていけばいいんだろう」という事がいつも心に引っかかっていました。過激な思想や発言はある一定の支持を集めますが、現代は日本のみならず、全世界的にそれが加速しているように思います。
ただ、過激な発信に対して、同じように過激な反応を返すことは決して良いことではない、ということも感じていました。先日、アメリカで選挙があった際に「オバマの選挙応援演説がトランプに対抗して攻撃的なものになっているが、どうなのか」という趣旨の記事を読んだのですが(出典を忘れてしまいました、申し訳ない!)まさにその通りだと思いました。攻撃的な反応は問題の本質的な解決にはならない、だけど対抗していく為にはどうしたら良いのだろうと思っていた時に「ある男」を読んで、しみじみとフィクションが持つ力を考えさせられました。
声を持たない人の声を多くの人に向けて代弁することが出来るのは、小説が持つ大きな力だと思います。たとえ即効性はなくとも、「物語」として加工することによってそこにいるはずの人の声を届け続けること、人の想像力に働きかけ続けることが出来る。それはとても大きな力だなと思いました。
「表現すること」に助けられる時
私は、平野さんが芸術について書いた文を読むのが好きです。「ある男」では二つの場面が心に残りました。一つは、死刑囚の描いた作品を集めた展覧会での場面です。
しかし、芸術とはその実、資本主義とも大衆消費社会とも無関係 に、そもそも広告的なのではあるまいか? ─ ─ 例えば、燃えさかるようなひまわりの花瓶がある。草原を馬が走っ て いる。寂しい生活がある。 戦争の悲惨さがある。 自ら憎悪を抱えている。 誰かを愛している。 誰からも愛されない。……すべての芸術表現は、つまるところ、それらの広告なのではないか?
平野啓一郎. ある男 (Kindle Locations 2398-2401). 株式会社コルク. Kindle Edition.
死刑囚の作品から溢れるメッセージ性を受け止めながら、主人公の城戸が考えるシーンです。この後に続く死刑制度について議論が交わされる場面も大変緊迫感があって面白いです。
もう一つのシーンは、前述のシーンと対比させて考えても面白いなと思いました。多分、多くの読者が好きなシーンとして抜粋するところだと思うのですが、ラスト近く、若いうちから多くのものを失くした里枝の息子が、自分なりに傷を克服する方法を見つけていくところです。
彼女(里枝)は、文学が息子にとって、救いになっているのだということを、初めて理解した。それは、彼女が決して思いつくことも、助言してやることも出来なかった、彼が自分で見つけ出した人生の困難の克服の方法だった。
平野啓一郎. ある男 (Kindle Locations 4179-4181). 株式会社コルク. Kindle Edition.
シンプルに良い場面です。とても共感しました。
また、ある意味でエゴに満ちた自己表現という「広告」が、誰かにとっての救いになっているという帰結はとても美しいと思います。
終わりに
冒頭に書いたように、これまでいくつかの平野さんの作品を読むチャンスに恵まれましたが、その中で「ある男」は一番パーソナルな部分に響いた小説だったと思います。誰かを失った時に抱く悲しみやそこから立ち上がる強さが描かれていて、とても心に残りました。読み終わった後、これまであまり考えてこなかったことに想いが向かったりして心がほどけるような感覚がありました。ぜひ、どうぞ。