初期の名作短編集。村上春樹 著『カンガルー日和』

こんにちは、のいです。寒くなってきましたね。ついに村上春樹の書評を書く日がやってきて、なんとなくワクワクしています。以前、「人生に影響を与えた3冊」でも書きましたが、私は村上春樹の作品が大好きです。2015年に期間限定で読者との交流サイト「村上さんのところ」をオープンした時は毎日チェックしていましたし、最近出演されたラジオも聞いておりました。あまりメディアには出てこない村上さんですが、ノーベル賞の話題もあいまって知名度は抜群です。私の友人には「村上春樹が大好きです」という人と「村上春樹?うーん」という人、両タイプともいますが、「村上春樹?誰それ」という人はあまりいません。アメリカでも「日本人で好きな作家はいるの?」と聞かれた時、「ハルキ・ムラカミ」と答えればだいたいみんなわかってくれます。まさに平成を代表する作家だなあと思います。

心のゆらぎを文章にする

村上春樹というと、洋楽とパスタとミステリアスな美女が出てきて、美女に「ぼく」がなぜか言い寄られて・・・という感じのストーリーがドライな文体で描かれる、というのが典型的なイメージのようです。

まあ、確かに村上春樹の小説には、洋楽、パスタ、ミステリアスな美女の三点セットは欠かせません。今日ご紹介する「カンガルー日和」にも全部登場するのでお楽しみにお待ちください。文体も特徴的です。ご本人は『職業としての小説家』の中で、自身の文体についてこう書いています。

(文体が翻訳調だという指摘に対して)僕が求めたのは「日本語性を薄めた日本語」の文章を書くことではなく、いわゆる「小説言語」「純文学体制」みたいなものからできるだけ遠ざかったところにある日本語を用いて、自分自身のナチュラルなヴォイスで持って小説を「語る」ことだったのです。そのためには捨て身になる必要がありました。極言すればその時の僕にとって、日本語とはただの機能的なツールに過ぎなかったということになるかもしれません。

書き始めると長くなってしまいますが、ここに村上文学の反逆精神を見るのは私だけではありますまい。また、出典を忘れてしまいましたが、「音楽的なリズムを持った文章を書こうとしている」とどこかに書かれていた記憶があります。私も、中学生の頃に初めて「海辺のカフカ」を読んだ時にはその文体に惹かれました。「とおりのいい文章だな」と思ったのを覚えています。文章のリズムの良さが小説を読む手を早めたのは間違いないと思います。また、今人気の作家たちの文章を読む時に村上春樹からの影響を感じるものは多くあります。村上春樹の文体は「日本語で小説を書く」ということに一種の革命を起こしたと言っていいと思います。

さらに、私が村上作品を好きな理由をあげるとすると、それは「心のゆらぎを見逃さない」という点にあると思います。2018年の7月にオウム真理教の死刑囚十三人に対して刑が執行された時、村上さんが毎日新聞に寄稿された文章にその真髄が現れていると思います。(ここからだとリンクがうまく貼れないのですが、毎日新聞、無料公開しているみたいですのでぜひご一読ください。素晴らしい文章だと思います。)私たちはいつも「答え」を求めています。死刑執行に関して言えば、「死刑制度は正しいのか、正しくないのか」という二つの立場のどちらかの「答え」を選ぶことを求められます。しかし記事の中で村上さんが指摘している通り、「人道的に考えての死刑制度反対」と「遺族感情を受けてからの死刑執行肯定」にはどちらにも理があり「答え」を簡単に出してしまうことは危険なことです。それをわかっていながらも二元論が増えてしまうのは、答えが出ない自分の心の「ゆらぎ」を捉えるのは大変難しいことだからだと私は思います。そのゆらぎを無視して安易な結論に飛びついてしまうこともたくさんあります。村上春樹は、言語化の難しい「ゆらぎ」の感情を文章にするのが大変うまい作家だと思います。そして、それこそが文学の役割だという姿勢をとってらっしゃるように思います。オウム真理教に対する寄稿はその真骨頂だと私は思いました。

『カンガルー日和』

 

キャリアの長い作家なので、読んでいくと年代ごとに少しずつ作風が変わっていくのを感じますが、この「カンガルー日和」は1981年ー1983年に「トレフル」という雑誌に連載されたものです。デビューが1979年ですので、ごく初期の短編集と言っていいでしょう。ちなみに1981年には長編小説「羊を巡る冒険」も出版されています。「カンガルー日和」は一つ一つは短く、割とあっさりしているのですが、その後の小説に繋がっていくモチーフがそこかしこに見つかります。特に少し長めの「図書館奇譚」には羊男も登場し、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」的な世界観も見ることができます。

いくつかの短編をご紹介します。

4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

この作品は、のちに長編小説「1Q84」の土台になる作品です。(NYタイムズのインタビューより)とても短い作品ですが、何度か映像化もされており、人気が高い短編のようです。ストーリーはタイトルそのままです。

4月のある晴れた朝、「僕」は100パーセントの女の子とすれ違います。大して綺麗でもないし、年は30近いくらいですが、とにかく自分にとって「100パーセント」だということが直感的にわかります。しかし「僕」は話しかけることはしません。

書いてしまうと本当にシンプルな話なのですが、妙に印象に残ります。「四月のある晴れた朝」という言葉の中にある清々しさと、「100パーセントの女の子」という言葉がいいですよね。「100点の女の子」というとなんかバカにされているようで腹が立ちますが、「100パーセント」は存在を余さず肯定しているようで好きです。言葉の選び方って大事ですね。読んだ後、人と人が巡り会う不思議さに想いをはせてしまいます。短いながらも心に残る短編です。

あしか祭り

新宿のバーで隣に座ったあしかに名刺を渡したら、あしかが家に来てしまうという話です。村上春樹の小説に出てくる動物はどれも、どことない可愛さとそこはかとない不気味さがありますが、ここに登場するあしかもそんな感じです。あしかが何かのメタファーなのか勘ぐりながら読むのも楽しいです。

チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏

私が作中で好きな短編です。若くて貧乏だった時代に、線路が交差するとてもうるさい「三角地帯」に住んでいた若い夫婦の話です。記憶って、住んでいた場所や部屋に強く結びつきますよね。

スパゲティーの年に

一九七一年、それはスパゲティーの年だった。  一九七一年、僕は生きるためにスパゲティーを茹でつづけ、スパゲティーを茹でるために生きつづけた。アルミ鍋から立ちのぼる蒸気こそが僕の誇りであり、ソースパンの中でグツグツと 音を立てるトマト・ソースこそが 僕の希望であった。

村上春樹. カンガルー日和 (講談社文庫) (Kindle Locations 1172-1175). 講談社. Kindle Edition.

村上春樹とパスタの強い結びつきはここから来てるんじゃないかと思うくらい、スパゲティーに全面的に向き合った短編です。内容は「孤独」を扱った暗いトーンの短編ですが、読み終わった後にはやっぱりスパゲティーが食べたくなります。

図書館奇譚

「カンガルー日和」の中の最後に収録されている、少し長めの作品です。奥様の、「冒険活劇が読みたい」という希望に沿って書かれた作品だそうです。先にも書きましたが、この短編からはその後の村上文学に繋がっているところが多く見られます。村上春樹の多くの作品の中で、「二つの並行世界が同時に進行している」という世界観を見ることができますが、この短編の中でもそれが登場します。また、この小説には「羊男」も登場します。

村上春樹が描いた羊男。くるんとした角とひげが良いですね。

羊男というのは村上春樹の複数の小説に登場する、羊の着ぐるみを着た男です。(ウィキペディアがありました)登場するときは必ず、二つの並行世界の日常側ではない、「もう一つの世界」に出てきます。羊男が何者なのかというのは長年私を悩ませている謎です。真剣に受け取ると、何かの象徴な気がするんですが、それと同時にそんなに深く考える必要もない気がして、つかみどころのない存在です。いつか深く考えてみたいと思います。答えは出なくても楽しいからね。

最後に

それにしてもやっぱり村上春樹の記事は長くなってしまいました。それだけ好きなんです。各作品が結構リンクしているので、一つを語ろうとすると他の作品についても書きたくなってしまい、あっちこっちに行ってしまいました。

「カンガルー日和」には他にも短いながら魅力的な作品が多いです。初期の村上文学のエッセンスがバッチリ詰まっていると思いますので、ぜひどうぞ!!

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ABOUTこの記事をかいた人

埼玉県出身、東京- NYを経て、今はミシガン州立大学で音楽学部の博士課程に在籍中。 専攻はピアノ。 よく読むジャンル→ミステリー、ファンタジー、エッセイ、恋愛もの、歴史物、伝記、ノンフィクション、児童書 アメリカ中西部でピアノを弾いたり音楽について学んだり書いたり教えたりしています。 本を読んで現実逃避して寒さに耐えています。