刹那の爽やかさ。坂口安吾 著『風と光と二十の私と』

 

文豪のプロフィール画像

こんにちは、のいです。十一月に入り、冬の足跡が聞こえてきましたね。突然ですが、みなさんWikipediaはお好きですか?学生のみなさんは「Wikipediaはレポートの参考にしてはいけません」と耳にタコが出来そうなくらい言われているかもしれませんね。学生でないみなさんも、同じようなことをお聞きになったことがあるかもしれません。

私も「Wikiを信じるな」と言われて人生を過ごしてきました。確かにWikipediaは誰でも編集できてしまいますから、不確かな情報も多いというのには頷けます。しかし、それを加味しても私はWikipediaをあさるのが結構好きです。全ての情報が正しくなくても、出来事や人物の大まかなイメージを捉えるには有用だし、リンクがたくさんあるのでどんどん関係先に飛んで行くのも楽しい。そして何より、時にはこんなプロフィール写真に出会えるのですから。

坂口安吾(1946年撮影)Wikipediaより

 

のい

汚ねえ・・・・!!!部屋が!!!!

おっと、言葉遣いまで汚くなったしまった。汚いけどなんか親近感湧くわ。この写真を見てすぐに私は「坂口安吾 部屋」と検索しました。検索結果には私と同じようにこの写真に衝撃を受けている人たちのまとめがすぐに出てきました。そしてこのあと更に懲りずに「坂口安吾 血液型」と検索しました。私と同じO型だといいなと思ったのですが、インターネット情報によるとA型だそうです。え?どうでもいいって?

以前、坂口安吾については、小林秀雄の書評でちょろっと触れたことがあるのですが、私の坂口安吾についての知識はWikipediaで情報蒐集して楽しんでいることからご想像いただければいいと思います。今日は、そんな彼の作品、「風と光と二十の私と」を扱いたいと思います。Amazonで、他の自伝作品と共に収録されたものがありますが、この作品自体は青空文庫で無料で読めます!

あんこ先生!

私が代用教員をしたところは、世田ヶ谷の下北沢というところで、その頃は荏原えばら郡と云い、まったくの武蔵野で、私が教員をやめてから、小田急ができて、ひらけたので、そのころは竹藪だらけであった。

「風と光と二十の私と」は、坂口安吾が20歳の頃に小学校の代用教員として五年生のクラスを受け持った一年について綴ったものです。生徒たちには「あんこ先生」と呼ばれて親しまれていたということです。

フルタイムではありませんが、私は時々先生をやっています。自分が先生になるまで、教師に向いている人は、「生徒として学校生活に馴染んでいた人」だと思っていました。学校に毎日無遅刻無欠席・・・とはいかなくてもちゃんと来て、友達がたくさんいて部活もやって学校行事には熱心に参加し、生徒会なんかも入るタイプ。どちらかというと現実的で、優等生だった人が教員には向いているんだろうなあと勝手に考えていました。

でも実際に教えてみたら、「良い先生」が持っている資質は優等生とは少し違うように思いました。確かに自分のことを振り返ってみても、私に多くのことを教えてくれた「師」と思える先生たちは、必ずしも優等生ではなかったなと思います。中学生時代のことを振り返っても思い出に残る授業をしてくれたのは、その後校長先生に出世していった先生たちではなく、ちょっと変わった先生だったし、私がアメリカに行くきっかけをくれた先生だって「優等生」というタイプでは全くありませんでした。

でも、そういう先生たちのちょっと変わった、尖ったところが、逆に私に考えるきっかけをくれて、結果的には成長させてくれたように思います。

坂口安吾は「優等生」ではない先生の典型タイプだったようで、教員になったきっかけも

私は放校されたり、落第したり、中学を卒業したのは二十の年であった。十八のとき父が死んで、残されたのは借金だけということが分って、私達は長屋へ住むようになった。お前みたいな学業の嫌いな奴が大学などへ入学しても仕方がなかろう、という周囲の説で、尤も(もっとも)別に大学へ入学するなという命令ではなかったけれども、尤もな話であるから、私は働くことにした。小学校の代用教員になったのである。

と書いています。学業が嫌いな人が先生になるって矛盾している気がしますが、こういうきっかけで教師になったこともあってか安吾の視点はとても優しいです。

本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。子供はみんな可愛いいものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい思いや郷愁をもっている。

安吾のクラスには必ずしも良い子ばかりだったわけではないようで、短いエッセイの中にも色々な子のことが書かれています。私が好きだったのは、あんこ先生はどうやら子供たちと対等の立場に立つことが出来る先生だったことが描かれているこのフレーズです。

 子供の胸にひめられている苦悩懊悩(おうのう)は、大人と同様に、むしろそれよりもひたむきに、深刻なのである。その原因が幼稚であるといって、苦悩自体の深さを原因の幼稚さで片づけてはいけない。そういう自責や苦悩の深さは七ツの子供も四十の男も変りのあるものではない。

小説家になりたい若者の葛藤

私はそのころ太陽というものに生命を感じていた。私はふりそそぐ陽射しの中に無数の光りかがやく泡、エーテルの波を見ることができたものだ。私は青空と光を眺めるだけで、もう幸福であった。麦畑を渡る風と光の香気の中で、私は至高の歓喜を感じていた。

もうこの美しい文を見ていただければわかると思いますが、この「風と光と二十の私と」は全体的にすごく爽やかで、読後にサーっと風が吹き抜けていくようなすっきりとした読後感があります。

のい
ていうかこんな美しい文を書く人があんな部屋に住んでいるものなんだな。

「全てを捨てるべきなのか」「私は不幸になって苦しまなくてはいけない」という若き文豪の葛藤が描かれているのですが、後年になってから振り返るという形で描かれているため、自分の青さを愛しむような書き方で、とても素敵です。安吾は一年間の教員生活を経て東洋大学に入学しているのでこの一年間はどちらかといえば人生の休息時間のような時だったのでしょうか。

自殺が生きたい手段の一つであると同様に、捨てるというヤケクソの志向が実は青春の跫音あしおとのひとつにすぎないことを、やっぱり感じつづけていた。私は少年時代から小説家になりたかったのだ。だがその才能がないと思いこんでいたので、そういう正しい希望へのてんからの諦めが、底に働いていたこともあったろう。
教員時代の変に充ち足りた一年間というものは、私の歴史の中で、私自身でないような、思いだすたびに嘘のような変に白々しい気持がするのである。

 

刹那の輝きを懐かしむようなこのエッセイが大好きで、時々読み返しています。

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

埼玉県出身、東京- NYを経て、今はミシガン州立大学で音楽学部の博士課程に在籍中。 専攻はピアノ。 よく読むジャンル→ミステリー、ファンタジー、エッセイ、恋愛もの、歴史物、伝記、ノンフィクション、児童書 アメリカ中西部でピアノを弾いたり音楽について学んだり書いたり教えたりしています。 本を読んで現実逃避して寒さに耐えています。