暗闇の中に佇みながら静かに光を見つめる。伊藤詩織 著『Black Box』

はじめに

こんにちは、のいです。わたしは、今年でアメリカ生活が6年目になります。最初の3年はニューヨークに住み、その後はミシガンに住んでいます。その間に、二度ほど社会の動きに合わせてFacebookが大騒ぎになり、そこら中が炎上状態だったことがありました。

一つは2016年、アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが当選した時のことです。選挙結果を待つ時点でFacebookは荒れに荒れていました。世の中に絶望する書き込み、連帯を呼びかける書き込み、選挙を分析する書き込み、罵詈雑言、結果が出てからは何人もの知り合いがデモに参加する様子をライブストリーミングで配信し、しばらくは落ち着かない日々が続きました。

もう一つは2017年、昨年、#Metoo運動が本格化した時です。この時も告発の書き込みでフィードがいっぱいになりました。特にブロードウェイミュージカルに携わっている若い女性の書き込みはかなりの数にのぼりました。もちろん他の業界からの告発も見かけましたが。わたしがこの時見たたくさんの#Metooの告発には、心に迫るものから「本当だろうか」と疑問に思うものまでありましたが、どの告発にもサポートするコメントがついていたことは印象的でした。

セクハラ関連ではもう一つ、印象に残る事件があります。それは私が在籍するミシガン州立大学で起こった事件で、スポーツドクターだったラリー・ナサールが多くの女子体操選手達に性的暴行を20年以上に渡り行なっていたというもので、裁判は#Metoo運動と重なってかなりの注目を集めました。日本でもかなりの数の報道がされたのでご存知の方もいらっしゃると思います。

#Metoo運動と、ナサールの裁判は立て続けに起こり、私にとっても深い印象を残しました。自分と歳がそれほど変わらない女性達が、耳を塞ぎたくなるような内容の告発をしていました。告発中に泣いていた人もいました。そんなこと、しなくて済むならどれほど良かったでしょう。黙っている方が楽だったかもしれません。でも、彼女達は勇気を持って沈黙を破ったのでした。

いずれの場合も、私に深く印象を残したのが、被害を受けた女性達に対する周りのサポートでした。SNSではもちろん心無い書き込みも見かけましたが、それらを、励まし、慰め、共感のコメントがあっという間に凌駕しました。著名人が、被害女性をサポートするコラムをメジャー紙に投稿しました。被害者を「かわいそうな人」として扱うのではなく、「サバイバー」として敬意を表そうという動きもすぐに出ました。

これらの動きが印象深かったのは、私がつい、日本とアメリカを比較してしまったからでした。二つの国で近い時期に起こった性犯罪の事件を比べた時、日本側の方が受け止める反応が鈍く、冷淡であったのは間違いなかったからです。

そして、それは私に疑問を残しました。日本もアメリカも私が知っている限りでは、「優しさレベル」はそれほど変わらないように思えます。親切な人がいて、優しい言葉があって、気遣いがあり、そういうものに助けられて皆が生きています。日本人の方が意地悪だなと感じたことはないし、アメリカ人に対して特別に親切な国だと感じることはないです。人の優しさ度にはどちらもそれほど差異はないのに、どうして性犯罪の告発のリアクションにはこんなに差が出るのか。知りたいと思いました。

伊藤詩織さんの告発

ジャーナリストの伊藤詩織さんが2017年5月に、元TBS記者からの性的暴行を訴えた会見は多くの方が記憶するところだと思います。かなり衝撃的な内容で、また政治的な意図も自動的に加わり、大騒ぎになりました。今回ご紹介する「Black Box」は伊藤さんの告発を本にまとめたものです。伊藤さんは本書のはじめの方で本書を出版した理由についてこう語っています。

あの日起きたこと ─ ─ 私自身の体験、 相手方の山口敬之氏の言葉、捜査、取材で明らかになった事実については、これから本書 を読んで頂きたい。みなさんがどう考えるかはわからない。それでも、今の司法システムがこの事件を裁くことができないならば、ここに事件の経緯を明らかにし、広く社会で議論することこそが、世の中のためになると信じる。それが、私がこの本をいま刊行する、 もっとも大きな理由だ。

伊藤 詩織. Black Box (文春e-book) (Kindle Locations 25-29). 文藝春秋. Kindle Edition.

この言葉通り、「Black Box」の中では伊藤さんが会見で語った内容が詳細に書かれています。時間の流れや交わしたメールもオープンにされています。人は、なんども同じ話をすると、少しずつ内容が変わってしまうことがありますが、この本の内容と会見の内容にはブレが感じられず、よく検証され筋が通っていると私は思いました。

本書の中で伊藤さんはこの事件の被害者であると同時に、この事件を検証するジャーナリストでもあります。そこの客観性はものすごく、また、傷ついてはいても、事件を法のもとで解決しようとする行動力には舌を巻くものがあります。レイプされた被害者として何度も事件のことを語ったり文章化することにはかなりの負担が伴うと思うのですが(ご本人もそう書いていらっしゃいますが)、それに最後まで向き合い形に残されたことに大変な敬意を払いたいと思います。

「Black Box」を読んで思ったこと

読後、まずは本書を書かれた伊藤さんの理性的な筆致、行動力に感銘を受けました。この本の内容は彼女にとって、ネガティブなものだったと思いますが、それにも関わらず読後には、悪路を切り開いていく小さな希望を見たように思いました。それはひとえに、伊藤さんの筆力によるものだったと思います。

それと同時に、他に多く起こっているはずの性暴力に思いを馳せずにいられませんでした。伊藤さんはもともとジャーナリストで、性暴力に対してある程度の予備知識があり、また、アクションを起こすことに優れている印象があります。さらに本書の中で、看護師やセクハラ裁判経験のある友人、そして親戚に検事の方がいて、そういった方々が相談にのってくれたとも書いていらっしゃいます。

しかし、皆にそういった知り合いがいるわけではありませんし、性的暴行に対してアクションが起こせるわけでもありません。新聞記事などで軽く触れたことはあっても、この本を読んで、こういった事件をきちんと形にするのがいかに大変なのか、改めて思い知らされました。「だからこそ本書を出版することに意味がある」という伊藤さんの言葉が重くのしかかります。

バッシングについて

伊藤さんは現在、ロンドンに住まわれているそうですが、移住した理由について「バッシングが止まず、日本で暮らすのが難しくなってしまった」とインタビューに答えています。確かに会見の後に起こったオンライン上のバッシングは目を覆いたくなるようなものが数多くありました。

なぜこんなにバッシングが多かったのか。まず一つ目の理由としては、日本の社会が性的暴行について語ることに慣れていなかったことからではないかと思います。以前、「ある奴隷少女に起こった出来事」という、黒人女性が120年前に性的暴行を告発した内容のノンフィクションを書評しましたが、この本も出版当時はほとんど話題になりませんでした。内容があまりにセンセーショナルで避けられてしまったというのが一つの理由でした。伊藤さんの告発も、日本の社会にとって劇薬のように効いてしまったのかもしれません。信じたくないことを聞くと、その内容に拒否反応が出ることがありますが、それが彼女本人に向かってしまったように思います。

もう一つ、これは私が自分でとても反省したことです。先に、アメリカでは #Metooの告発に対しサポートコメントが多いということを書きました。こういったサポートコメントを誰がしているのかというのを見ていると、若い女性がとても多いということに気づきました。見知らぬ人に対して、様々な立場の女性たちがあたたかいコメントを送っているのをたくさん見ました。しかし、日本で起こった伊藤さんの件に関していうと、日本では女性からのバッシングも多く、彼女サイドに立った人々は、同じく逆にバッシングされてしまった印象があります。

では日本の女性は性的暴行被害者に対して、共感能力が薄いのかといえば、そんなことはないです。優しい人はたくさんいます。むしろ、日本人女性は一般的に共感能力が高い方が多いように思います。では、なぜ?

私は自分が授業でディスカッションにのぞむ時のことを思い出しました。ペーパーやプレゼンは回を重ねたら慣れましたが、ディスカッションだけは何度やってもどうしてもどうしても苦手なのです。自分の意見が反射的にまとめられず、自分と反対意見の人と当たってもなんとなくヘラヘラ頷いてしまい、「そういうこともあるかも」となんとか自分を納得させる自分がすごく嫌なのですが、どうしてもあと一歩が出ないのです。私には言いたいことがあり、言うべきこともある。ただ、それを実際に声に出すことに多大な勇気を必要とするのです。

なぜこんなに私は自分の意見をいうことに勇気がいるのだろう。言語的なものも性格的なものもあります。クラスの中で一度も発言していないのは私だけ、という状況に陥ったことがなんどもあります。留学生もシャイな人も口下手な人もみんな発言しているのに。

ここにはやはり、文化的なものも影響していると私は結論づけました。日本の女性、特に若い女性は自分の主義や考えを口に出すことに勇気がいる環境に置かれて育っているのだと思います。もしくは、発言に重きを置かれないため、初めから発言をしないことに慣れてしまっているのです。「アメリカ大統領になるのが夢」というアメリカ人の女の子はたくさん見ましたが、「日本の首相になるのが夢」という日本人の女の子は見ません。私自身、こうやって文章を書く時はかろうじて自分の考えをまとめられますが、口頭での議論になったらすぐに自信がなくなって諦めてしまいます。

私は伊藤さんがバッシングされている時にも何も言いませんでした。もしかしたら、伊藤さんをサポートする記事に何回かくらい「いいね」したかもしれません。でも、「私は彼女をサポートします」というその一言を言うことができないうちに、伊藤さんは日本を出て行かなくてはならないくらい追い詰められてしまったのでした。つまり、サポートよりもバッシングが上回ってしまったのです。

「これがいじめの傍観者ってやつなのか」と思いました。伊藤さんは私の一つ年上の同世代で、同じ時期にNYにいたこともあり、勝手に親近感を抱いていたのに、結局傍観しているだけだった自分がとても情けなく感じました。この「Black Box」の書評を書くことにしたのは、だいぶ時間がたってはしまったけれど、せめて、自分に今できることはやろうと思ったからです。

慣れ親しんだ自分の習慣、考え方から自分を変えていくのは難しい。これまでの経験が生きないから怖く、変化には勇気が必要です。もちろんシャイなのは悪いことではないけれど、もし、自分がそうあることで誰かが傷つくのならば、それは何かが間違っていると思いました。何かをいうべき時にはそれを口に出す勇気を持とうと、反省しました。

さいごに

伊藤さんの告発は、私にとっても物事を考えさせられるきっかけとなりました。自分が生まれ育って来た文化が良しとしていたものが、逆に牙を向いてネガティブな面を見せつけた出来事でした。それでも、この告発を経ての法律の改正や世間のリアクションなど、色々なことが少しずつ良い方に変化しつつあるのだろうと、希望もあるように思います。

また、伊藤さんがお元気で活躍していらっしゃることは何よりも素晴らしいことであると思います。傷を負っていくつものブラックボックスに立ち向かい、暗闇の中に立ってはいるけれど、決して希望を失わずに一筋の光を追う姿がとても印象的な一冊でした。

 

ABOUTこの記事をかいた人

埼玉県出身、東京- NYを経て、今はミシガン州立大学で音楽学部の博士課程に在籍中。 専攻はピアノ。 よく読むジャンル→ミステリー、ファンタジー、エッセイ、恋愛もの、歴史物、伝記、ノンフィクション、児童書 アメリカ中西部でピアノを弾いたり音楽について学んだり書いたり教えたりしています。 本を読んで現実逃避して寒さに耐えています。