意外な熱さに感動。若林正恭 著『社会人大学人見知り学部卒業見込』

こんにちは、のいです。ここ何週間か、色々な本をいっぺんにノロノロと読んでいたため、どれも中途半端な進み具合になってしまいました。そのため何を書こうか迷ったのですが、いいタイミングでこのエッセイを読み終わり、大変共感してこれはいいなあ〜と素直に感想が書きたくなりました。

 

今日の書評は人気お笑い芸人のオードリー、若林正恭さんが書いたエッセイの第1作目「社会人大学人見知り学部卒業見込」です。

雑誌、ダ・ヴィンチに連載されていたというこのエッセイ、一編一編は短くサクッと読めるけど、どれもいい味を出していて、爽やかな後味です。

2013年に本書を出版した時の若林さん (https://ddnavi.com/news/140733/a/)

また、ついこの間は「ナナメの夕暮れ」という新刊を出された際のインタビューも読みました!ぜひこちらも読んでみたいものです。

ひねくれ者の人生哲学

この本は、若林さんが三十歳で2008年のMー1で総合二位となり、テレビに出始めた「社会人一年生」の頃からの事が書かれたエッセイです。

一般的には高校や大学を出て働き始めてぐらいからを社会に参加しているというのだろう。しかし、ぼくがそういった感覚を味わい始めたのは三十歳になってからであった。

特定の企業に雇用されて働くということをせずに、若手芸人の下積み期間と呼ばれる長い長いモラトリウムを過ごしたぼくは、随分世間離れした人間になっていた。

「まえがき」より

”モラトリウム”の中から

私は夏に本屋をうろうろしていた際に、なんとなくこの本を手に取り、このまえがきを読んで購入を決めました。ここを読んだ時、本当に共感してしまいました。

大学を卒業し、そのまま日本で就職せずにアメリカに来た私にとっては、日本の「社会」はなんとなく自分に関係ないという感覚があり、長い休みに帰省した時だけ触れてハッとするようなところと化しています。アメリカにいると私と同じような環境の人が多く、彼らは自分が「普通」だという感覚を与えてくれるため、日本の社会にいる同世代の友達が就職し、結婚し、人生を築いていることにもなんとなく実感がなく、自分が本来そこに含まれているべきであるという事にもいまいちピンと来ていません。焦りや諦めも混じったこの感覚が短い文で的確に表現されていて、その「モラトリウム」から出た後の社会人の人生はどんなものなんだろうということが、現在不参加である身としては気になりました。

自分の平凡さを受け入れる

一時期でも「社会」にちゃんと参加していなければ当たり前のように、不便なことがたくさんあります。そこで感じた難しさのようなものがこの本にはたくさん書かれています。私が好きだったのは、「人の言う事が聞けない」という自分の性格について綴った「『穏やか』な世界」というものです。

我見が強いのだ。天才なら我見が強くても自分のスタイルを貫いて結果を出すだろう。でも、ぼくの場合は我見からスタートして結局通念に着地する。で、全部ぼくの間違いでした、と反省する。そんなことがぼくの人生にはすごく多いのだ。

こちらも私は大変共感しました。振り返ってみれば私の人生もそんな事が多く、また現在進行形で、「私が意地を張ってるだけなんじゃないか」と薄々知りながら続けている事が結構あります。

例えば私の家は学校から歩いて1.5kmあるんですが、私は「歩くのが好きなんだよ」と意地を張って、バスも車も使わずに-18度でも学校まで30分かけて徒歩で行っていました。しかしこの間車で学校に行ったら、その便利な事・・・。駐車場に停める時間入れても10分で着くじゃん。みんなが車で通学するのも当然だわ、と当たり前の事をやっと納得しました。(でも今も歩いてるけど)

この抜粋で特に好きなポイントは、「天才なら我見が強くても結果を出すだろう。でも、」と自分の凡人さを受容しているところです。そう、確かに世の中には天才がいて、そういう人は自分のやり方でカッコよく結果を出しています。テレビ業界でたくさんの天才に出会った若林さんは、彼らと比べた自分の「凡さ」をなんどもエッセイに綴っています。若林さんはこちらから見たら充分非凡だけど、彼自身が感じた自分の「凡さ」は確かにそこに実感としてあるのだと思います。若林さんが凡人である自分を受け入れ、それを許容する下り(『スター性』)がまた良いです。

しかし、最近はもうどうでもいい。主観の強さや天賦の才がないことはどうでもいい。当たり前のことだけど、どこの誰にでもその人にしか感じられないことがあるからである。

天才は確かにいるけど、凡人であるからと言って闘い方がないわけではない、やり方次第なんだと思わせてくれます。

若林と春日、それから周りの人

オードリーの人気が爆発的に出た時私は高校生で、周りにはお笑い好きな子がたくさんいました。だからオードリーが一夜にして大スターになったことはよく覚えています。まずは春日が注目されたこと、春日の相方の顔は特に覚えていなかったこと、だけどそのあと「アメトーーク!」の「じゃない方芸人」という回で大笑いしたこと、その後「読書好き芸人」で見たり、衝撃的に音痴なカラオケを聞いて若林をなんとなく認知していったこと・・・。

自分が一視聴者として見ていたことを、当の本人が「あの時はこんな思いでやってました」と書いてくれるのはネタバレのようでなかなか面白いです。若林さんは自分たちが売れるまでに、また売れてからも支えてくれた作家さんやスタッフについても多くを綴っていますが、どれも素敵です。(私のお気に入りは『青銅さん』というベテランスタッフについて書かれたものです)また、辞めていった先輩のことや社会不適合だけど才能のある若者についても多くのページが割かれており、彼らを語る熱さに感動してしまいました。

春日

オードリー(http://www.kdashstage.jp/profile/archives/39)

相方の春日さんのことは基本的にはあまり語られませんが、一つのエッセイには「春日」というタイトルがつけられ、さすが苦楽を共にしたコンビだけある!と思える内容になっています。芸人さんの下積み時代が大変だというのはよく語られますが、オードリーもそうだったようで若林さんも「自分の二十代のことは振り返りたくない」と書いています。しかし相方の春日さんは違う感覚を持っていたようです。

(春日に)「二十八にもなってお互い風呂なしのアパートに住んで、同級生はみんな結婚してマンションに住んでいるというのに、恥ずかしくないのか?」と問い詰めた。相方は沈黙した。

三日後、電話がかかってきて、春日は「どうしても幸せなんですけど、やっぱり不幸じゃないと努力ってできないんですかね?」と真剣にいってきた。

「春日」より

このくだり、とても好きでした。きっと無限にあるコンビのエピソードの中から、ここを抜き出した若林さんが相方をどう思っているのかわかります。ここに関連して、若林さんは「昔はお金をもらえればそれに比例して幸福になれると思っていたけれど、幸福感はさほど変わらなかった」とも書いています。長さにしたら5ページの短いエッセイだけど、内容がぐっと詰まっていました。

変化していく自分を楽しむ

このエッセイは、「社会人一年目」から「社会人大学卒業論文」まで数年かけて書かれているので、最初はスターバックスで「グランデ」と言えなかった若林さんも、最後の方ではそれに慣れています。オードリーにとってはすごい変化があった何年かの中で書かれたエッセイですから、若林さん自身の考え方やライフスタイルも変化していることが読んでいて感じられました。

私が好きだったのは、それらの変化に対して若林さんが肯定も否定もせずに、受け入れている姿勢でした。斜めに世界を見ていた若者が落ち着いた大人になっていくことに、どちらがいいとか悪いという事はなく、変化の中からそれぞれその時ベストの自分を探していけばいいんだなと思えて読後感がとても爽やかでした。この後書かれたものも読みたいです。

ぜひどうぞ!

ABOUTこの記事をかいた人

埼玉県出身、東京- NYを経て、今はミシガン州立大学で音楽学部の博士課程に在籍中。 専攻はピアノ。 よく読むジャンル→ミステリー、ファンタジー、エッセイ、恋愛もの、歴史物、伝記、ノンフィクション、児童書 アメリカ中西部でピアノを弾いたり音楽について学んだり書いたり教えたりしています。 本を読んで現実逃避して寒さに耐えています。
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