才能って結局何なのか? サマセット・モーム 著『月と六ペンス』

こんにちは、のいです。今日は、私の好きな小説ランキングトップ3に入っている、イギリスの作家、サマセット・モーム(1874―1965)の「月と六ペンス」について書こうと思います。

スパイとかしてたこともあるモームさん

もう語られ尽くした名作だってことはわかってるんですが・・・おこがましいってわかってるんですが・・・本来なら論文とかで語られるべき文芸作品かもですが・・・でもいいの、書きます。それくらい好きなんです。すみませんが今回の書評長いです。目次見て飛ばし読みしてくださいまし。

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「才能がある」とは

 

突然ですが、皆さんは、「才能がある」という言葉をどういう時に使いますか?私にとっては、「才能がある」という言葉を使う時は、誰かが自分にとって理解できない異次元の何かを成し遂げているのを見たときです。例えば100メートル走を9秒台で走ったりするのって、もう私には到底理解できません。あとは、iPhoneを開発したりすることとか・・・

 

では、すごいんだかすごくないんだか良く分からないアートの才能はどうやって判断するのでしょう。「人を感動させたらそれが才能」と言ったりするけれど、例えば、子供が発表会できらきら星を演奏しているのを見るのだって、親は感動します。仕事で忙しい中で余暇を縫って練習した友達のライブを見たら、「ああ忙しいのにすごいな」と感動します。

私は、芸術作品から受ける感動って「その人を知っているかどうか」というファクターがとても強く作用するように思うのです。

何が言いたいかというと、要するにアートというのは主観的で、漠然としたものだということです。しかし、私たちは知り合いや我が子から得た感動だけを糧に生きていくのかというと、それもまた違います。

だけどそれなら一体私たちは何に感動しているのでしょうか。私たちに届く「才能」ってなんなのでしょうか。

「月と六ペンス」は一人の芸術家の生涯を描きながら、「才能って何なのか?」ということを問いかけてくる作品です。

「あいつの絵は嫌い」という人はいるかもしれない。だが、その絵に関心すら持たない人はまれだと思う。ストリックランドは人の心を騒がせ、足を止めさせる。

 

ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」1897年

 

ストーリー

小説を大きく三つのセクションに分けると、ロンドン、パリ、そしてタヒチとそれぞれの舞台に分かれます。それぞれについて見てみましょう。

 

ロンドン

物語はロンドンから始まります。若い小説家の「私」はひょんなきっかけでストリックランド夫人のお茶会に招かれ、そこから一家との交流が始まります。

平凡ではあるものの、幸せに見えた一家。しかしその後ストリックランドが家出し、「私」は家に帰るようパリまで説得に行きます。

浮気相手と駆け落ちしたと思われていたストリックランドですが、実際パリに行ってみると極貧生活をしており、「絵を描きたくて妻を捨てた」と言い放ちます。「私」は「あなたはもう40歳だ」「家族がかわいそうだ」など色々な手で説得を試みますがストリックランドは聞きません。

「描かねばならんと言ったろうが。自分でもどうしようもないんだ。水に落ちたら、泳ぎがうまかろうがまずかろうが関係ない。とにかく這い上がらねば溺れる」

「私」は一応彼の絵についても興味を持ちますが、一枚も売れておらず誰にも評価されていないことを知ります。しかし同時にストリックランドが全く周囲の評価を気にしていないことにも戸惑います。

「私」は諦めてロンドンに戻り、皆にストリックランドの様子を説明しますが、誰も彼が去った理由を理解できません。どうしようもないと言う状態で月日が五年も過ぎ、パリに舞台が移ります。

 

パリ

物語中盤、一番の山場は、ストリックランドと「私」の共通の友人であるストルーブ夫妻との間に起こる事件でしょう。

画家であるダーク・ストルーブは偏屈なストリックランドとは対照的な登場人物です。画家としては三流ですが作品はよく売れ、優しく騙されやすい彼は貧乏なストリックランドにお節介に救いの手をさし延べます。画家としての腕とは対照的に絵画に対する確かな目を持っており、ストリックランドの偉大さを見抜く最初の人物になります。またストルーブは妻のことを心から愛しており、つつましいながらも幸せな生活を送っていました。しかしあるきっかけから、悲劇的な事件が起こります。

ストルーブは自分で絵を描く才能には恵まれませんでしたが、ストリックランドの作品の素晴らしさがわかる「才能」には恵まれていました。どんなにひどいことが起こっても、ストリックランドの才能を嫌いになることができません。

語感に欠ける人間が言葉をずさんに使いつづけると、言葉は力を失う。あれもこれもが同じ言葉で語られるうち、その言葉が本来表すべきものの尊厳が損なわれる。人はドレスを美しいと言い、犬を美しいと言い、説教を美しいと言う。そして「美」なる言葉で表すべき当のものに出会ったとき、それを美と認識できなくなる。

―中略―

だが、ストルーブは違った。救い難い道化ではあっても、魂は誠実で偽りがない。その魂同様、美への理解と愛情も誠実で偽りがなかった。

ゴーギャンが描いた裸婦像の一つ。「裸婦習作」1880年

しかし、「私」はストルーブとは違う感想をストリックランドの作品に抱きます。

あのとき、作品の美しさと独創性を一目で見抜いた、と言えればどんなにいいだろう。だが、そうではなかった。

「私」はストリックランドの現代絵画的なスタイルに慣れておらず、戸惑います。しかし何も感じなかったかといえばそれもまた違い、「醜いとしか見えない絵ながら、ゆゆしき秘密の気配がする。」と書いています。

モームは読者を置き去りにしません。ストルーブによって絶賛された作品なのに、「私」にはその価値がよくわからないのです。こういった感想は私たちの多くが現代アートに触れた時に持つものではないでしょうか。それを語り手に語らせることによって、理解しがたい何かに対して、「わからない」と思う自由も与えてくれています。

伝える側は、心に抱く宝物を他者にわかってもらおうと痛々しいほどの努力をするが、他者にはそれを受け取る力がない。こうして、人は孤独に歩む。

 

タヒチ

物語の最後の舞台、タヒチではなんとなく話の感じが変わります。どことなく南の島のさっぱりとした明るい太陽が感じられます。

ゴーギャン「タヒチの山々」1893年

タヒチを訪れた「私」は様々な人から話を聞くことによって、ストリックランドが何に取り憑かれていたのかを理解していきます。彼が囚われていたのは「美の創造への情熱」であり、それを具現化するためには何を犠牲にしても構わなかったのだと悟ります。それを「私」に話してくれた島の船長の言葉がいいです。船長は、美に取り憑かれたストリックランドに共感を覚えたと話します。

「おれも、ある意味、芸術家だと言わなかったか?あいつを突き動かした欲望と同じものがおれの中にもあるんだ。あいつは道具に絵の具を使ったが、おれは人生を使った」

 

ストリックランドのような天才ではなく、「凡人」である船長が言ったこの言葉が私は好きです。人には皆情熱を向ける先があり、一つひとつの人生が自分の作品なのだと思わされます。

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終わりに

 

私は「芸術家の価値は死んでからでないとわからないのではないか」と考えることがあります。生きている間は、作者のことを知っている人がいて、その作者が表現したいことをなんとなく推し量ることができます。時代の流れや流行からメッセージを読み取ることもできます。だけど、その人が死んで100年経ったら・・・?

人は皆、心に伝えるべきことを持っていますが、それを形にするのは大変難しいことです。親しい人だったら、相手のことをよく知っていますから、相手が言いたいことを推測した上で感動できます。「相手のことを知っていると感動が増す」という現象の正体はこれだと思います。

だけど全く知らない人に何かを伝えるのはそれよりずっと難しい。

それでも、私たちは偉大な芸術作品の前に立つと、知らなかった作品でも「私はこれを知っていた」という感覚に陥ることがあります。それは作者が誰の中にもある何かの本質を巧みに、実物として形にして伝えてくれた結果なのです。

「才能」とは結局のところなんなのでしょうか。「月と六ペンス」では、それはストリックランドが取り憑かれた「美の創造への情熱」として一つの答えが出されているように思います。絶え間のないその情熱が向かった作品は美の本質をくり抜き、最終的には彼を天才と呼ばせます。特別な者しか行き着くことができない領域にストリックランドは行き着いたわけです。

しかしそれと同時に、一般人であり芸術とは縁遠いはずのタヒチの船長がそんなストリックランドに同等の共感を抱き、「あいつは絵の具を使ったが、おれは人生を使った」というところはこの作品のミソとも思えます。モームは、ストリックランドの人生を小説という形のアートで描き、「人の情熱もまた、それ一つで芸術たりうる」という一つの可能性を提示しているように私は思いました。

ゴーギャン最晩年の作品「女と白馬」1903年。美しいですね。

 

おまけ

☑️この作品、ちょっとだけ英語でも読んでみましたが、思ったよりずっとシンプルで読みやすいです。英語で本を読みたい方、いかがでしょう?

☑️モデルになった画家、ゴーギャンはマジでストリックランドみたいな人だったのか?というとまたそれも違うみたいです。あくまでモデルです。

☑️ゴーギャンは一時期ゴッホと同居生活を送っていたことがあります。そんな二人の生活を描いた漫画https://omocoro.jp/kiji/82443/ が大変素敵ですので、よろしければどうでしょう。

ゴーギャン「ひまわりを描くゴッホ」1888年

☑️芸術作品は作品そのものだけで自立しうるのか、それとも周りのストーリーがあってこそ価値を持つのか、というのは長く続き、そして答えが出ない議論です。自分なりに「月と六ペンス」を読んで考えてみましたがどうにも納得いく答えは出ませんでした。

長い長い書評を読んでいただきありがとうございました。

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埼玉県出身、東京- NYを経て、今はミシガン州立大学で音楽学部の博士課程に在籍中。 専攻はピアノ。 よく読むジャンル→ミステリー、ファンタジー、エッセイ、恋愛もの、歴史物、伝記、ノンフィクション、児童書 アメリカ中西部でピアノを弾いたり音楽について学んだり書いたり教えたりしています。 本を読んで現実逃避して寒さに耐えています。