大変長らくご無沙汰しておりました。
すーちゃんです。
近況報告
コロナ禍でいかがお過ごしでしょうか。
絶好調なんて方はいないでしょう。
最前線で闘っている方、本当にありがとうございます。
感謝の声よりも、自分たちが感染しないことこそ大切だと思い、
対策はしっかりしなければ…と考える日々です。
気づけば年末。
こんなに年末感がない年末は初めてです。
四国にも帰省できず、久しぶりに名古屋で1人過ごす年末年始です。
コロナ禍での出来事
2020年、個人的に1番大きい出来事は「4ヶ月休職したこと」。
いわゆる“コロナ鬱”になってしまいました。
外出自粛、不眠。
目の前のことを必死でこなしていたら、足元が崩れる音がしました。
休職中、出会った小説の中で1番力をもらった作品を
今日は紹介させていただきます。

まだ温かい鍋を抱いておやすみ
タイトルの通り、温かい読後感を感じられる小説。
人と食べもの、の繋がりを強く感じます。
読み終わったあと、ほっこりした気持ちで眠りにつけそうです。
6編の中で3編ピックアップして書きます。
ひと匙のはばたき
叔父のお店を手伝う主人公・沙彩と、そのお店に来るようになった清水さんのお話。
ずっと頼ってきた鳥と別れる清水さんに対して、沙彩がかけた一言が印象的です。
「ずっと頼ってきたものを捨てるのは怖いでしょう。仕方ないですよ。たぶんそんな日のためにお酒とかおいしい食べものとか、こういうお店はあるんです」
わたしには鳥は見えないけれど、もしかしたら見守ってくれているかもしれない。
鳥以外にも、他の人には見えない何かを頼っている人もいるかもしれない。
そんなことを考えた短編でした。
どこかから鳥の羽音が聞こえる。遠く、近く、潮騒のように私たちを包んでいる。
かなしい食べもの
昔の思い出のパン。メリーゴーランド。
ひとつひとつのものに、どこかしら切なさと悲しさが散りばめられている。
「それでも俺は、これを、かなしい食べものだって思う。だからいつか灯が、どん底だけを信じるんでなく、他の、もっと幸せなものに確かさを感じて、このパンを食わずにやっていける日がくればいいって、願うよ」
灯が言うように、メリーゴーランドは偽物かもしれないけれど、
それでも夢を運ぶ、温かい乗り物だと信じていいかもしれない。
シュークリームタワーで待ち合わせ
主人公・夜子は子供だと、家族・家庭というものへの理解が無さすぎると周りからは言われる。
ある日、旧友・幸の息子が事故で亡くなったという一報が入る。
ショックで物事を選択できなくなった幸を、夜子は自分の家に招く。
「結婚したら、頭がおかしくなるほど悲しいときも、家族に気をつかって生きなきゃならないの?」
夜子は、自分自身が結婚できず、そもそも結婚に向いていないことを自覚している。
だからこそ、「家庭」というものを自分以上に大切にしないといけないことが理解できない。
「食べるってすごい。すごくて、こわいね」
「こわい?」
「生きたくなっちゃう」
夫との主従関係に近い状況、息子を亡くした痛み…
幸は夜子が作る食事のたびに涙する。
幸の、生きたい気持ちを繋ぎとめるのは、間違いなく夜子のご飯。
そして、隣にいてくれた夜子自身だったと思います。
毎日毎日、生きたいと消えたいの境界をさまよいながら箸を使う友人の口を、食の誘惑でこじ開ける。さくさくと噛み砕かれ、ごくんと嚥下された温かいかたまりは、否応なしに彼女の血肉を潤す。これであなたは、明日も死ねない。
この地の文を読んだ瞬間、わたしは鬱の真っ只中にこの短編を読めて良かったと、心の底から思えたのです。
わたしが鬱状態のときに1番つらかったのは、突然現れる「消えたい」「死にたい」という気持ちでした。
特に朝はひどく、そのまま動けない1日も何度もありました。
それでも食事は摂る。
あの頃は何度も、UberEatsを始めとする宅配サービスにお世話になりました。
そして、大学時代の親友に助けを求める。
人と喋らなさすぎて、寂しさで死にそうって言うとZoomでお話に付き合ってくれる親友たち。
感謝しています。
まさに、この短編の中の幸と自分を重ね合わせて読んでいました。
だからこそいま、死んだりしなくて良かった、と思っています。
まだ完治ではないし、たまに苦しい朝もある。
相変わらず、愚痴のような話を聞いてもらう日もある。
それでも2020年を生き切ったわたしに、100点を付けたいと思います。
今年も1年ありがとうございました。
来年は少しずつでも書評を書いていきたいです。(書きたい本のストックも溜まっていくので…!)
皆様、良いお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。
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