こんにちは、すーちゃんです。
『妻の終活』を読みました。

今回、紹介させていただきます。
坂井さんの小説は、今までもいくつか読んでいました。
いつか、わたしもマラソン挑戦したいと思ったことを覚えています。
https://www.sankei.com/life/news/191117/lif1911170020-n1.html
あらすじ
家事や子育ては二歳下の妻 杏子に任せきり、仕事一筋で生きてきた。
妻の頼みごとなど、四十二年の結婚生活で初めてだったのに。
呆然とする廉太郎に長女は「もうお母さんを解放してあげて」と泣きながら訴えるのだった―。
結婚四十二年、仕事一筋の男と家を守ってきた女。残された時間をどう生きるべきか…。
余命1年を受け入れるということ
余命を告げられたあとも、廉太郎はなかなか杏子の病状を受けいれられず、杏子と娘たちが楽しそうに過ごすことにも苛立ってしまう。
「だって、お前たちがあまりにも呑気で」「この先、いつまで美味しいものが食べられるか分からないでしょ。銀座だって、あと何回行けるか分からない。だから今のうちにと思ったの」
「私は今、猛烈に反省しているんです」(中略)「あなたがこんなになにもできない人になってしまったのは、きっと私のせいなんですね」
「治らないんですってば。何度言えば分かるんですか!」(中略)「私がいなくなったら、あなたの健康を守れるのはあなただけなんです。娘たちに迷惑はかけられないでしょう?」
廉太郎から読み取れる、昭和の男性像
こういったところです。
先程のインタビューの中に、廉太郎のモデルは坂井さんのお父様と書かれていたので、こういったところもお父様の影響があるのかもしれません。
「男ってのは、心の中で思っていることをそう易々と口にはしないもんだ」「うん、たぶんそう言われて育ったんだよね、お父さんは」
「きっとさ、お父さんが心の中で思ってるだけの言葉って、言ってあげると喜ぶ人がいるよ。だからちゃんと、言ってあげなよ」
エンディングノート
「たとえ短い時間でも死と向き合い、生を見つめ直していただく。苦しいかもしれませんが、人間らしい最期を迎えるには、大切なプロセスです」
祖父の葬儀
私事にはなりますが、先月、地元で母方の祖父の葬儀がありました。
70年以上八百屋を営み、倒れるその日まで働いていたそうです。
年明けに、どうにか、もう一度会っておけばよかった。
本当に優しくて、博識で、孫に甘い祖父でした。
廉太郎が家事を覚え始めたシーンを読みながら、そのことを思い出しましたね。
本作を読みながら、祖父のことを思い出さずにはいられないくらい、ある意味タイムリーな小説でした。
祖父がこの場を設けた理由
「故人がこの場を設けたことは、生と死について見つめ直す機会を与えてくれたということ」
分かった。俺はこの感情を一人でじっと抱きしめて、残りの生をまっとうするのだ。寂しく、幸せに、お前が「もういいわよ」と迎えに来てくれるまで。
と、廉太郎が悟るように、残された人間は生をまっとうするしかない。
廉太郎はそれに気づけてよかったです。
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