7月企画第1弾、「夏のイベント特集」!
まずは、すーちゃん( @suexxsf )からお届けします。
少し前にはなりますが、6月下旬に参加させていただいた、原田マハさんの特別講座のレポを書かせていただきます。
目次
はじめに
『ゴッホのあしあと』刊行
先日、マハさんが 『ゴッホのあしあと』という、新書を刊行されました。
Readers storeで、今回の特別講座の参加券付きの電子書籍を購入し、参加に至ります。

(やっぱり紙の本が好きなので、新書も買いました)
『ゴッホのあしあと』刊行記念!!
Reader Store×幻冬舎大学の特別講座「原田マハが迫る!新たなゴッホの人間像とは!?」
主催:株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント/
株式会社ブックリスタ/株式会社幻冬舎

トリガーとなった『たゆたえども沈まず』
今回参加したきっかけは、原田マハさんの『たゆたえども沈まず』を読んだことです。
今年の本屋大賞第4位になった本作。この作品を読んだ昨年の秋頃から、フィンセント・ファン・ゴッホという画家にハマっています。
昨年秋に公開された『ゴッホ~最期の手紙~』という映画を観たのち、今年の初めに京都で、ゴッホ展を観に行きました。そのくらい、自分の中に響くものがありました。
『たゆたえども沈まず』の着想点
日本初のグローバルビジネスマン・林 忠正
東京へ向かう新幹線の中、『ゴッホのあしあと』を読んでいたのですが、『たゆたえども沈まず』の世界と深く繋がっているので、楽しく読めました。
『たゆたえども沈まず』では、ゴッホ兄弟がメインという印象を強く受けたのですが、きっかけは、実在の人物「林 忠正」だったそうです(林と一緒に行動を共にする加納重吉は架空の人物)。
日本人は印象派の絵画が好きという傾向があり、その理由をマハさんが探していたところ、鍵となったのは、浮世絵。
開国直後、明治時代の初期。万博の影響もあり、パリで日本絵画を広めた林のことを「日本初のグローバルビジネスマンだったのではないか」とマハさんはおっしゃっていました。しかし、彼の日本での認知度はあまりに低い。
そうしているうちに、同じ時代にゴッホ兄弟がいたことに気づきます。
「日本人はなぜゴッホが好きなのか?そもそもゴッホとは何者なのか?」
2014年春に取材を始め、深みにハマっていったと言います。
入り口は林、出口はゴッホ
『たゆたえども沈まず』では、ゴッホ兄弟と林、加納の友情が描かれていますが、彼らが出会った・交流があったと書かれた文献はまだ見つかっていないとのこと。
しかし、1886年、フィンセントとテオ、林は、同じパリの空の下にいた。この部分に気づいたマハさんは、これぞ小説の出番!と感じたそうです。
文献はないものの、ゴッホは林の存在を知っていた可能性は高い。
パリ万博を機に、林は日本絵画を持ち込み、パリで高い人気を博しました。
浮世絵に影響を受けた印象派の絵画も多く、見比べてみるのも興味深いです。
特に、当時の美術アカデミーの絵画と、印象派の絵画を見比べたり、浮世絵での表現からの影響を垣間見えたりと、なるほど…!と感じることが多々ありました。
「日本美術が印象派の目覚めを促した」
これは日本人として、本当に嬉しく思います。
ゴッホ、晩年の4年間
ゴッホの晩年の4年間(1886-1890)は激動であり、開花の年月です。マハさんは、25分かけて熱を込めて語ってくださいました。
特に、「パリに受け入れてもらえなかった」ということが、深く心に刺さりました。
ゴッホが描いた様々な絵画を眺めながら、彼の秘めた強さを、ひしひしと感じました。
「どん底でも描ける画家」と、マハさんが表現されていたのが印象的です。
ゴッホ兄弟に寄り添いたかった。「あの傑作」が生まれる瞬間に立ち会いたかった。
そう思い、書き始めたのが『たゆたえども沈まず』。
わたしも、名画が完成する瞬間に立ち会えたことを、心底幸せに思っています。
表紙へのこだわり
『たゆたえども沈まず』の表紙は、ゴッホの絵画「星月夜」が使われています。
本を立てたとき、背の部分から月が見えるような、部分使いをした、と聞き、表紙へのこだわりも感じられました。


帯の「強くなってください」の文字が、とても染み渡ります。
おわりに
このイベントに携わったすべての方に、この場を借りて、感謝を申し上げます。ありがとうございました。
そして、原田マハさん。わたしに、ゴッホの魅力を教えていただき、ありがとうございます。
いつか、わたしもゴッホのあしあとを辿っていきたいです。