はじめに
今日は、1年に1度は読み返していて、わたしが1番好きな小説を紹介したい。
辻村深月 著『子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)』である。

出会ったのは、高校生の頃だった。
当時、少しずつ辻村作品に興味を持っている矢先、本作を読み、衝撃を受けた。
大袈裟ではなく、わたしの恋愛観は、この作品で作られたのだ。
本作の魅力
本作について
世間を騒がせる連続殺人事件。兄・「i」(=藍)に会うために、浅葱は殺人ゲームを続けなければならない。
それが友人である狐塚や月子たちを苦しめることになっても…
正直、殺人シーンや浅葱の過去には、グロいシーンもあり、全体的に重い話。
しかし、やめられない。好き、とはまた違った感情で、この作品世界を見守っている。
辻村作品のエッセンス
本作の魅力はまず、辻村作品のエッセンスが目一杯詰まっているということ。
- 女子同士の心理描写
これは、月子と紫乃、また月子と真紀ちゃんの場合で、全く違う形になる。
どちらの「友達」の形も理解できて、読むたびにとても痛々しい。
今話を聞いている自分と、昨日狐塚や恭司と話をしていた自分は果たして同じ私なのだろうか。
どちらも月子には違いないのに、その二つの間が遠い。
- 清々しい読後感
苦しくて切ない気持ちになるのに、終わり方が清々しい。読んでよかった、と毎回思える。
辻村さんご本人が以前、トークショーでおっしゃっていた、「日曜の夜に読んで憂鬱な気持ちで、月曜の朝に出社してほしくない」「あの主人公どうなったんだろう?と思ってもらえたら、それは良い読後感だと思う」という話を、読みながらふと思い出す。
この読後感に、わたしは救われている。
- 作品から派生するリンク
この世界から広がる世界があるということ。
ここで終わらない、その楽しみを読者に渡してくれる。
自分の恋愛観に響いたもの
本作を通して、「タイミング、巡りあわせ」を何度も考える。
もう何度も読み返し、もちろん結末も知っているのに、どこかで救われるんじゃないかと期待している。
「あのとき伝えていれば」「もう少し歩み寄れたら」といった、たられば、ばかりが頭をよぎる。
この作品を読み、人生も恋愛もタイミングが大事だと痛感した。
悲哀ではない。彼らが出会えたことは、意味があったはず。
そして、いつか幸福を掴んでほしい。きっとまた、会えると信じている。
表紙・帯について

この写真は、本作のノベルス版の表紙。
藍色の背景。月に乗る2人。白く、蝶々が描かれている。
この作品そのものだと思った。
また、冒頭に載せた、文庫の表紙も好き。
月と太陽、藍色と浅葱色。対照的で、本作を暗示している。
最近の帯も素敵です。
特に上巻の「折り合いがつかない――もどかしい感情を呼び覚ます」と書かれたものがとても好みだった。
さいごに
ここまで書き、本作は、それぞれの「希望の光」の物語なのかもしれない、と気づいた。
『子どもたちは夜と遊ぶ』を気に入っていただけたら、その次に『ぼくのメジャースプーン』、そのあとに『名前探しの放課後』という順番で読んでいただけると、さらに辻村ワールドの広がりを感じられるはず…!
そして、ラストシーン。
「人間は誰でも、大好きで泣かせたくない存在が必要なんだって。
君が生きているというそれだけで、人生を投げずに、生きることに手を抜かずに済む人間が、この世のどこかにいるんだよ。不幸にならないで」
改めて、自分の心の中で、じっくりと染み渡らせていきたい言葉。
『子どもたちは夜と遊ぶ』という作品に出会えたわたしは、幸せだ。