こざわたまこさんの『負け逃げ (新潮文庫)』を読んだ。
知ったきっかけはTwitter。
そして「女による女のためのR-18文学賞」の読者賞受賞作品と聞き、興味を持った。
そして帯では好きな作家が2人、絶賛している。気にならないわけがない。
地方で暮らす高校生。舞台は閉塞感に満ちた村。
田舎の窮屈さが文中からひしひしと伝わり、そこからどうにか逃げようとする彼らは、どこか痛々しくもあった。
「田舎」を描くこと
地方を舞台にした作品を読むのは、毎回とても力がいる。
村で何十年も暮らし、同級生と結婚した学校教員は、大学で1度東京へ行った同僚に「ちょっとねたましい」という言葉を放つ。
高校生は進路を考えながら、「東京と地元じゃ、もう完全に別の世界って感じだよな」と話す。
もちろん、東京は日本の中心地で、キラキラ輝いてて、地元とは違う。
けれど、この会話に出てくる〈東京〉はきっと、自分が行って目にした東京ではない。もはや幻想に近いだろう。
わたしも、地元を数年前に出たがゆえにわかる。
帰省したときに感じる負い目に似たものが、ここにもあった。
逃げているのは子供だけじゃない
村のしがらみで苦しんでいるのは、子供だけじゃない。
陰口や噂がすぐ広まるような小さなコミュニティーの村に何年も暮らしていて、結局逃げ場がないのは大人のほうだった。
村に染まってしまった大人たちを見ていると、これは呪縛ではないかと思う。
みんな、なにかに縛られている。
だから、ヒューズが飛ぶと、すべてを捨てて駆け出してしまう。
そんなの現実的じゃないのに。できっこないのに。
そんな中、作中の
「ふるさとは、捨てられないよ。自分が生まれた場所だから」
という言葉が、とても響いた。
やっぱり捨てられない。わたしも一生、ふるさとを捨てられない。
走り続けた先に見える一筋の光
解説の中で重松 清 氏は、著者の「大して不幸でもないくせに不自由しか感じていない」という言葉を、赤ペンで丸を付けたという。
田舎育ちの独特な感性で、うまいなぁと思った。
季節は春になる。
この村全員の男とセックスして、私を介してみんながつながっていたら、この村に復讐できると言っていた彼女も、少しずつ変わっていく。
その先に光があると信じて、人々が田舎でもがく、そんな作品。
いつの間にか、のめりこんで読んでいました。おすすめです!