ホロコーストを生き延びたノンフィクション。『アウシュヴィッツの歯科医』

ベンジャミン・ジェイコブス著『アウシュヴィッツの歯科医』を読んだ。

 

本作を手に取ったきっかけ

本作を知ったのは、日本歯科新聞という新聞に掲載された、監訳の上田祥士氏のインタビューがきっかけだった。
この歯科新聞では、以前、七尾与史氏の『歯科女探偵』も取り上げられていたことがある。
それ以来、わたしの中では歯科関係の小説との巡りあわせの場となっている。

柔らかなタッチの表紙とは裏腹に、本当に衝撃的なノンフィクションだった。
翻訳ものの作品には苦手意識があったが、それを覆すくらい読みやすく、一気に読んだ。

衝撃の連続

当時のユダヤ人への扱いについては、歴史の教科書に載っているくらいの知識しかなかったため、こういう形で目の当たりにすると、言葉にならない衝撃だった。

ポーランドで暮らしていた21歳の歯科医学生・ブロネク(著者)が、アウシュヴィッツを含む複数の強制収容所で過ごした約4年間の出来事を、本人がつづったのが本作である。
国家による反ユダヤ主義、逮捕、法外な課税、突然の電撃戦といった、信じられないような出来事が次々に起こる。

「これは戦争ではない、とだれもが口にした。血も涙もない殺人だ」

本当にその通りだと思う。ユダヤ人だけを狙った、無差別殺人だ、と感じた。

収容所での過酷な労働

夜間、ユダヤ人の家に押し入られ、殴られるといった暴行が繰り返し起こる。その後、ユダヤ人だけが集められ、収容所では劣悪で、過酷な労働を強いられる。
何度か食事の話も登場するのだが、飢えとの戦いだった。そこには人間の尊厳など、一切ない。

「どんなに具合が悪くても医務室に行っちゃいけない。死なないためには、働いているのがいちばんなんだ」

ここまで「死」と隣り合わせの作品を読んだことがなかった。

アウシュヴィッツといえば、ガス室のイメージが強かった。
その他にも、車に「ガスレバーがあり。走行中のみ使用」と書かれているのを発見したシーンもあった。

「あのレバーを引いて、われわれはユダヤ人を殺しているんだ!(中略)実行に移すのは、命令を受けたわれわれ医師だ」

ブロネクと一緒に働く歯科医が、そう叫んでいた。凄まじい世界だ。

アウシュヴィッツの歯科医

母から渡された歯科治療道具箱

歯科医学生だった主人公のブロネクは、収容所に連れて行かれる間際に、母親から歯科治療用の道具箱を渡される。まさにこの道具箱がブロネクを救う。
収容所では、まだ学生の身であり、まともな治療道具もない中、ブロネクは歯痛を訴える患者を診る。時には、ナチスSS隊員(親衛隊員)も診る。

その後、ブロネクは様々な収容所に送られるが、この道具箱と、ものが無い中で見出した手法、知識により、行く先々で歯科医として働く。
これが彼の生死を分けた一因であることは、間違いないだろう。

死人から金を取ること

歯科で銀歯(冠)やブリッジを作ったことがある人は、現代でも多いと思う。そう、金属が必要なのだ。

ある日、ナチスSS隊員のブリッジを作ろうとしている際、「加工用の金はあるのか?」と聞かれる。無いと答えると、死人から金を取ってくるよう命じられる。死体置き場に赴き、死人の口から金を取るブロネク。想像を絶するとはこのことなのだろう。
生きるためには、命令に反することはできなかった。

迎えた戦後

本当に過酷で、数多くの試練をくぐり抜けてきたブロネク。
戦後の話が、特に印象に残っている。

「ほんの数日のうちにみなが心を入れかえ、ユダヤ人をふたたび人間扱いするようになったことが、わたしには信じられなかった」

少しインターネットで調べてみただけだが、当時ホロコーストを知っていたのは、ほんの一握りだったらしい。
今でこそ、教科書でも取り上げられているが、自ら調べ、掘り下げてみることに価値があると思う。そして1番大事なのは、同じ過ちを繰り返さないこと。

戦後、アウシュヴィッツを訪れた著者。慰霊碑の上のほうに、大きな文字でただひとつの文字が記されていたという。
「記憶せよ」

本書を手に取り、読むことができて、本当に良かった。
平和ボケしたわたしの頭に、ガツンと刺さった1冊だった。

 

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1992年、愛媛県生まれ。愛知県在住。『わたしの本棚』ライター。 好きな本のジャンルはミステリー。読書歴は約10年。辻村深月、東野圭吾、森絵都、恩田陸、原田マハ、村山由佳作品をよく読みます。(敬称略) 辻村深月作品が特に好きで、情報収集や考察が日課。また、作品の舞台になった街へ赴く、聖地巡礼も楽しい。 今まで読んだ本で1番好きなのは、辻村深月 著『子どもたちは夜と遊ぶ』。何度も読み返してるのは、同じく辻村深月 著『スロウハイツの神様』。初めて読んだ高校時代から現在も、わたしに影響を与え続ける、大切な作品たち。 読書の他に、アルトサックス、お菓子作りも好き。