書店ではじめてこの本を目にしたとき「こわい」と思いました。
中村文則さんといえば2002年、「銃」で新潮新人賞を受賞してデビュー。
その後も数々の作品が評価されています。
私が今回、紹介するの作品も芥川賞受賞作品です。
実は以前、中村文則さんの他作品を読み始めたものの途中でやめてしまったことがあります。
暗くて苦しくなってしまい読めなくなってしまったのです。
『土の中の子供』もかなり暗いお話でした。
文章が面白かったということと意地で読み終えましたが疲労感と哀しみがグルグルと……。
あらすじ
主人公はタクシーの運転手をしている私(27歳の青年)
幼いころに両親に捨てられ、養家に預けられるがそこで虐待を受けた過去を持つ。
その後、施設に保護され生き延びるものの彼は今でもその「恐怖」から逃れることができない。
これでもかというほど行き場のない彼の生きる物語。
物語は「私」の一人称語りですすんでいきます。
冒頭でいきなりチンピラにタバコの吸い殻を投げつけて半殺しの目にあうのですが、
読んでいくうちになぜ彼がそのような危ないことに自らすすんでいくのか分かっていきます。
過去にとらわれ続ける
「君の父親は生きている、会いたがっている」と施設から連絡を受けるシーンがあります。
いつもそうだ、と私は思った。
自分の中で終わったと思っても、事柄はしつこく、また面前に現れてくる。
今さら、父が生きていると知ったところで、私になんの意味があるのだろう。
彼の中では、ずいぶん前に両親との関係が終わっています。
自己完結していることを、もう話してもなんの意味のないことを、
わざわざ蒸し返すような出来事に心が乱れる鬱陶しさは自分のことのように感じました。
それと同時に過去は自分が切り離したいと思っても切り離せない。
良くも悪くもついてまわるものなんだなと、
そのこともあり過去の虐待の描写は読んでいて胸が痛くなりました。
また、彼はいくつもの「恐怖」の中で自身の生きたいという意思を見つけ、そのたびに這い上がっていくのですが、
それはキラキラとしたのものではなく「痛みからしか生への願望に気づけない」のではないかと思いました。
最後に
染み付いた、呪いといってもいいような過去とどう付き合っていくか――――。
不器用ながらも意思をもって生きる彼の最後のシーンには少し光が見えますが、
過去の恐怖に打ち勝ったわけでもないし、これからが明るくなったわけでもないのです。
最後のところ説明がされていない。
彼のことを知ったつもりが結局何なのか分らないままなのです。
ちなみに私がこの本を読み返すのはこれで4回目です。