目を閉じて「見」たくなる。伊藤亜紗 著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』

はじめまして!
今回から「わたしの本棚」で書評を書かせていただくことになりました、モーリー(@morry0519)と申します!

わたしにとっての読書は、他の誰かの世界や経験が覗くことで自分の日常を豊かにするショートトリップ。そんな小旅行をもっと大きなものにしたいと思い、旅行の工程に「わたほんで書評」を取り入れた次第です。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、気の向くままの旅になりそうですが、みなさんが新しい本に出会うきっかけとなったら嬉しいです。

前置きはこの辺にしておいて、いよいよ書評第一弾へ移ろうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

さて、新年あけましておめでとうございます!
年が新しくなると気持ちも新しくなって、今までと違うことをしたくなりしますよね。
そんなタイミングで紹介するのは、美学や現代アートの研究者・伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』です。
この本を読むと、きっと今まで持っていなかった視点が生まれて、思わず目を閉じて「見」たくなると思います。

視覚という感覚を取り除いた身体

『目の見えない人は世界をどう見ているのか』。
福祉問題を取り上げていそうなタイトルですが、実際は身体論の観点で「視覚障害者がどのように世界を認識しているか?」を理解することを目的とした本です。
そのため視覚障害者に対するスタンスは、身体機能の「欠落」ではなく「差異」と捉えていて、その差異をやわらかい表現で、面白く感じられるように書かれています。

正直わたしは、障害者=ハンディキャップによって生活に困難がある、助けないといけない存在 というイメージでしたが、この本を読んでそのイメージは大きく変わりました。
もちろん福祉面では多くの課題がありますが、身体論という今まで持ち合わせていなかった観点で捉えると、好奇心を擽る存在に感じます。

目が見えないないゆえに広がる視点

五感のうち約9割を占めるという視覚。
その視覚を失うことは、まるで四本脚の椅子が脚を一本失ったような不完全な状態に感じられますが、そもそも三本脚の椅子だとしたら。それは三本の脚でバランスが成り立つようにできているのであり、目が見えない人もまた視覚以外の感覚を使って「見る」に近い体験が成り立っていることが分かります。

目が見えない人の色彩感覚や空間感覚。
目が見えない人がする「ブラインドサッカー」や「美術鑑賞ツアー」。

それらの体験が視覚障害者へのインタビューを元に詳しく紹介されているので、気になった方は是非読んでみてください。健常者には無い「目が見えないゆえに広がる視点」に驚かされると思います。

情報疲れから解放されるヒント

「大岡山は、やっぱり『山』なんですね」

これはとある目が見えない方が、初めて大岡山に来た時の発言だそうです。
大岡山の駅を降りてそこから坂道を下って歩いている時、この方は「大岡山という地名」と「足で感じる傾き」の二つの情報から『山』を頭の中に導き出したとのこと。見えない世界というのは情報量がすごく少ない。だからこそ情報同士を結びつけ、イメージを作って「見る」のだそう。

これは個人的にハッとしたことですが、情報過多なこのご時世に付きまとう「情報疲れ」から解放されるヒントを感じました。

目が見える人、特に都会に住んでいる人やSNSに触れている人たちは、毎日たくさんの情報が目に入ってきて、無自覚に脳が疲れているかと思います。一方で目が見えない人たちは得られる情報が限られていて、大岡山のように少ない情報からイメージを作ったり推理したりするために脳のリソース費やせる と書かれてありました。
なんだかこれは情報の洪水に意識を奪われなくするためのライフハックのような気がします。
それと同時に「視覚で見ない」ことは、深い思考や豊かな世界観を身に付ける術のようにも感じました。

最後に

「欠落」ではなく「差異」。
単に目から情報を入れるのではなく、視覚以外の機能を使って「見る」。

このように、本書はものごとの視点に気づきを与えてくれた1冊でした。
目が見えない人たちの生き方を参考に、たまには立ち止まって目を閉じて目の前を見る。
そうやって、2019年は新しい気持ちを絶やさず過ごしたいと思います。