会う人ごとにキャラクターを変えて、毎回演じている素を見せられるのはこの人だけ
ウラオモテのない人でありたい
そんなことを想ったことは1度や2度ではないはず。
時としてそれは大きな悩みにもなります。
本当の私がわからなくて悩んでいる人がいるならば、きっと生き方が楽になる本だと思います。
小説の中で描かれている「分人」という概念をより詳しく提唱したのがこの本です。
本当の自分という幻想
個人とはindividual〈in(否定語)+dividual(分けるという動詞由来)〉の翻訳であり
これ以上分けることのできないと示唆したものです。
でもその分けることのできない個人があるからこそ私たちは悩み、苦しんでしまうのです。
しかし、平野さんが新しい人間観を提唱しています。
たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、
対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。
これがこの本に書かれている全てと言えると思います。
私にも分人を実感することが・・・
高校時代の友人Aちゃんと社会人になって知り合ったBちゃん
私はどちらとも非常に仲がよく、心許せる友人です。
しかし、AちゃんとBちゃんが仲良くなれるかといえば甚だ疑問。
私はそれぞれと話す内容もキャラクターも違います。
でもどちらの私も無理して接しているわけではありません。
分人はあくまでも相手との相互作用によって生じる
演じられているわけでも、使い分けられているのでもない。
分人はすべて本当の自分なのです。
誰といる自分が好きですか?
自分を愛するためには、他者の存在が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点である
自分を愛しなさい、などと自己肯定感を得る一つとしてよく言われる言葉。
でもはい、わかりましたなどと言えないから悩んでいるのです。
どうしたって自分のことを好きになれない。そういったこともあるかと思います。
しかし、分人主義目線で見ると、それは、その分人が嫌いなのであって、あなた自身を好きになれないわけではないのです。
誰といるときの分人が好きなのか。
恋人、家族、ネットで出会った人、どんな他者でもこの人といる私が好き。
そう思える人が一人でもいるならば自分に肯定的になれませんか?
また、他者から聞く「あの人はこういう人だから」はある意味信用ならないと思います。
その人に見せた分人が相容れなかっただけで、自分への分人はどうかわからない。
そうやって人間関係を考えていくと少し肩の荷が下りるかもしれません。
※分人という概念がうまれた小説はこちら