こんにちは、環(@echo3i_r)です。
今日は先日読んだ、小説『ヒッキーヒッキーシェイク』をご紹介します。
この物語の主人公は、“引きこもり”たちです。
目次
引きこもりの現状
引きこもり人口は100万人以上
現在の日本に、いわゆる引きこもりに該当する人は何人くらいいるのか、といいますと推計100万人。
2019年3月、内閣府は40歳から64歳までの5,000人を対象にした「生活状況に関する調査」の報告書のなかで、中高年のひきこもり者の数を推計61.3万人と公表しています。
また、15歳から39歳までを対象とした「若者の生活に関する調査報告」では、若年層の引きこもりは推計数は54.1万人と推定されています。
単純に合算できないものではありますが、日本には推計100万人以上の引きこもりがいるものと予想されているのです。
私はいわゆる不登校と同様に、若者のイメージが“引きこもり”にはあったのですが、現在はむしろ中高年の問題でもあると言えます。
この調査の“引きこもり”の定義は、部屋から出られない人から、趣味に関する用事の時だけ外出できる人までを含めた、言わば“広義の引きこもり”です。
引きこもりは万国共通語
私は本書のあとがきを読むまで、知らなかったのですが、“引きこもり”は万国共通語なんだそう。
「hikikomori」は既に、オックスフォード英語辞典にも載っている単語で、日本だけではなく、世界的にも引きこもりは社会問題になっているのが実態です。
引きこもりの力で、“不気味の谷”を越えろ!
話を本筋に戻します。小説『ヒッキーヒッキーシェイク』を引っ張るのは、竺原(じくはら)丈吉という男性。
竺原はヒキコモリ支援センターの代表を生業としていますが、その素性は定かでなく、謎に包まれた人物です。
彼は自分が担当している引きこもりの中から三人を選び、ある共同作業を行うことを提案します。
そのプロジェクトとは、インターネット内で架空人物を創造し、“不気味の谷”を越えること。
不気味の谷
不気味の谷とは、ロボット工学において提唱された概念のこと。
ロボットなど、人間ではないものを人間に似せて作る際、その再現度が高くなればなるほど人間は高い好感度を感じるようになります。
しかし、人間に似過ぎてくると、ある一定のラインから違和感や恐怖感、薄気味悪さのようなものを感じるようになる……これを“不気味の谷”現象と呼びます。
竺谷はその、「不気味の谷を越えるプロダクトを作ろう!」と提案するのです。
引きこもりたちが世界をかきまわす
序盤はそれぞれの事情を抱え、一般社会に馴染めないでいる引きこもりたちの力を集め、ひとつのプロジェクトに挑戦する……という物語。
しかし発起人の竺原には秘めた意図があったことから、次第に参加者の間でも駆け引きが始まります。
さらに第二、第三のプロジェクトが竺原によって提案されていき、予測がつかないラストに向けて物語のスピードは増していくばかり!
物語の視点は自在に変わっていくのですが、引きこもり視点であっても、語り口はどこかポップ。読んでいて楽しいです。
視点切り替えが、かなり多くて、作中で引きこもりたちに引っかき回される社会よろしく、読み手もシェイクされている気分でした。
視点が定点的ではないので、「コロコロ変わって読みづらい」と思う方もいるかも。
個人的には、その視点転換のシェイクされている感じも、この小説の面白みだとは思います。
うさんくさい、引きこもり支援者 竺原
引きこもり支援を生業とする竺原ですが、彼の言葉はどこかうさんくさい。
「俺たちには嘘をつく権利がある。それはでかいほど罪がない。ちっぽけな嘘になんか俺は興味ないよ。どうせつくんだったら、でかい嘘だ」
彼の言葉は、読者そして引きこもりたちを惑わし、彼の真意は物語中盤までよく分からないままです。
竺原の言葉に振り回されながらも、引きこもりたちはプロジェクトを進め、それはやがて世間の話題にもなっていきます。
うさんくささしかない、竺原ですが引きこもりたちをまとめて“引きこもり”として見なすのではなく、
あくまでも彼らを個人として、ひとりのクライアントとして見て、彼らを導いているんですよね。
人間としては、魅力的な人物だと思いました。
「だからさ、連中は『家から出られない』んじゃない。
同じ人々が集まる一定の場所に「通えない」んだ。少なくとも俺のクライアントには『旅行は好き』って人間がけっこう多い」
黒子としての格好良さ
竺原は引きこもりたちにプロジェクトという居場所、そして役割を与え、自身は引きこもりと社会のハブの役割を演じます。
引きこもりたちは、それぞれ悩みや問題を抱えていて、考え方や価値観もバラバラ。
まとまりなんてないのですが、それをうまく操っているのが、黒子の竺原です。
竺原は、作中で引きこもりに熱のあるメッセージで語りかける、なんてことは一切しません。
自分が提案するプロジェクトに誘い、それを動かし、時には彼らを利用する。
プロジェクトが進む中、引きこもりたちはいったいどうなるのか?
竺原が目指すものはなんなのか?
作中で竺原を通して引きこもりたちに注がれる、優しい目線と、愛あるメッセージに読後は目頭が熱くなりました。
本書の紹介はここまでです。以下は完全な蛇足です。
「この本が売れなかったら、私は編集者を辞めます」
文庫化するにあたっての騒動
- この『ヒッキーヒッキーシェイク』、ハードカバー版は幻冬舎から2016年にから出版されているのですが、文庫版は早川書房から出版されることになりました。
- 幻冬舎からの文庫化の話も具体的なところまで進んでいたそうですが、直前で中止。
文庫化中止をめぐって、著者の津原泰水氏とと幻冬舎 見城社長の、Twitter上の応酬は話題になりました。 - この応酬のなかで、幻冬舎 見城社長は、出版業界の禁じ手ともいえる、津原氏の単行本実売部数を暴露したことで、出版業界や作家関係者からの反発を受け、その後、該当ツイートを削除し謝罪するという事態にも至っています。
- このような騒動のさなか、早川書房から文庫化されることが発表。文庫版の帯文が注目を集めました。
<帯文より一部抜粋>
(前略)ただ、この小説の素晴らしさに、文庫版が世に出ないことがあってはならないと義憤のような感情に駆られたことは確かです。実際のところ、僕の文芸編集者生活20年の中でも指折りの作品であると確信しています。この小説が世に受け入れられないのであれば、もはや世界に文芸なるものは必要なく、僕が編集者でいる意味もない。
「人にこのような美しい感情を抱いてもらうことにこそ、文芸の価値はあるのだと」(後略)
「読んでほしいな」と感じる本
文庫本発売の経緯は、もちろん本書の内容とは関係ないものではありますが、この帯文が、私が本書を知ったきっかけでした。
いわゆる炎上商法、ともとられかねない帯文ではありますが、私はこの「売れなかったら編集者を辞める」という言葉は、編集者にとっての切り札であり、その切り札を使っても構わない、と思うだけの魅力が本書にはあったことは確かだと思います。
本書の内容とは別のところで、話題になってしまった小説ではありますが、これはもっと多くの方に読んでもらいたい、と考え今回の書評を書きました。
読んだ人すべてが「面白い」と感じる作品では、正直ないと思いますが、「良かった」と感じる人も一定数いると思います。
万人に受ける作品ではないけれど、何かを感じるような物語だからこそ、これからも生み出されてほしいと、ひとりの読書好きとして強く感じた一冊でした。
たくさんの人が支持する本ばかりでなく、「これは読んでほしい!」と言いたくなる、そんな本こそ読んでみたいなと思います。
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