こんにちは、環(@echo3i_r)です!
私は、この本を通して、
- 自分の親、そして家族との関係について
- これから自分が親になるかもしれない、未来について
自分自身の生き方を振り返りながら、これからの自分自身を考えました。
“家族”を選ぶ、ということを私はこの本を読むまで、考えることもしなかった。
読み終えて、いちばんに思ったのは、
十代の頃の私に、それを言ってくれる大人がいてほしかった、ということでした。
普段、私は小説以外の本をあまり読まないのですが、
この本を読んでみたいと思ったことも、自分の人生の選択なのかもしれません。
目次
写真家 幡野広志さんについて
著者 幡野広志さんは写真家。
私は彼が現代の医療技術では治らないがんであることを告白したブログ記事で、幡野さんのことを初めて知りました。
私は幡野さんのご病気をきっかけに幡野さんを知ったため、病気と切り離して彼の言葉を感じることはできないような気がしてしまうのですが、人の心をにすとんと落ちてくるように、言葉を真っ直ぐに綴られる方です。
読んでいると自分の気持ちも整えられていくような、そんな気持ちになります。
この本では、働き盛りの年齢で、人生の伴侶たる妻と息子と3人で暮らしていた中、がんであるという宣告を受けてからの日々を振り返り、そして病になった後に取材を通して出会った人との対話が、綴られています。
ひとの人生を、自分の“悲劇” “不幸”とするな
「がんにかぎらず、重い病気や障害、ぜんぶそうなんでしょうけど、やっぱり家族は『身内の病』を『わたしの不幸』にしちゃいけないと思うんです。
つまり『娘がこんな病気になったわたし、かわいそう』は、ぜったいに間違っている」
この言葉は、幡野さんが病気を患った後、自身のブログにコメントをくれた方に取材をしに行くエピソードの中の言葉。
これは家族との関係のみの話ではなく、日常生活の中で私たちが陥りがちな感情なのではないか、と思います。
誰かを襲った、突然の出来事、たとえば事件や事故、あるいは病、不幸ごと。
それはまったく自分たちとは関係の無い出来事であるのに、我がごとのようにショックを受けたり、その死を悼む。
(私はその行為を否定するつもりはまったくありませんし、本書でも決してそのようなことは述べられていません。)
ただ、その他人に寄り添う行為は、行きすぎてしまった場合に、その渦中の人を苦しめることだってある。
その人が不幸なのか、悲劇なのか、決めるのはその人自身のはず。
自分のあずかり知らぬところで「かわいそう」と言うことは、果たしてその気持ちは本当に寄り添えているのでしょうか?
家族を選ぶ、という選択
ぼくの自分の人生を選んでいきたいし、自分の居場所も、自分の家族も、自分の手で選んでいきたい。
NASAにおける“直系家族”の考え方
本書では自分が選ぶ家族の考え方として、NASAにおける“直系家族”の考え方が紹介されています。
もし、自分が宇宙飛行士となり、宇宙に飛び立つ時。
宇宙センターの管制塔には、“直系家族”だけが入ることを許された、特別室があるという話です。
その特別室に入ることを許された、自分にとって一番身近な家族を、NASAでは
- 配偶者
- 子ども
- 子どもの配偶者
としています。
父も、母も、兄も、姉も、弟も、妹も。
その“自分”にとっての直径家族ではなく、拡大家族の一部であるということ。
家族とは「親子」の単位ではじまるものではなく、「夫婦」の単位からはじまるものなのだ。同性婚を含め、自分で選んだパートナーこそが、ファミリーの最小単位なのだ。
親を選んで生まれることは、誰にもできない。
でも、パートナーを選ぶことだったら、誰にでもできる。
核家族化が当たり前となった今、家族でさえも選べる時代になっているのだ、とこの本を通して感じました。
子どもが親を切る、という選択
「家族を選ぶ」という考え方を、この本では噛み砕いて、分かりやすく綴られています。
言葉尻だけをとらえたとき、拒否反応を示す人は少なからずいるのではないか、とも思います。
(特に、お子さんをお持ちの世代の方はそうかもしれない。)
でも世の中には少なからず、親との関係に苦しんでいる子どもはいます。
私もその一人。
みんな苦しんでいるから、苦しんで当たり前、じゃないと思います。
私たちが苦しんでいるからこそ、これからの人には苦しんでほしくない。
新しい選択肢を考えていくことこそ、きっと大切なことだと思うんです。
この本を読みながら痛感したのは、
- 家族
- 世間体
- 義理
- 恩
私たちは目に見えない繋がりにいつの間にか縛られて、選べるものも選べなくなっているのかもしれない。
自分の人生の“筆頭株主”として
私がこの本を手に取ったのは、私自身が自分の人生を決断するべきタイミングに差し掛かっているからです。
これまでの人生を振り返った時、
- 自分で選んだつもりだったけれど、何かに流されていたり
- 親の顔色をうかがって、自分の道を決めたり
- 周囲の雰囲気にのまれ、うやむやにしてしまったり
そんなことがあったと思います。
言ってしまえば、自分自身の人生を生きていなかった。
当事者意識を持っていなかった。
もっと言えば、自分の人生に責任を持っていなかったのかもしれません。
ぼくは自分の人生に、後悔がまったくない。余命を告げられてからずっと、そう思っている。誰に聞かれても、自分は幸せな人間だと胸を張って言える。
自分自身が生きる道を選択する覚悟、そして責任を私たちは持たなければならない。
この本では、人生に対しての株式という表現でそれを分かりやすく表現されています。
ぼくの人生(命)についての株式は、51パーセント以上、ぼくが持っている。
ぼく以外の誰ひとりとして、勝手に決議をすることはできない。
仕事、就職先、どこに住むか、誰と付き合って誰と結婚するか、決めるのはすべて筆頭株主であるぼくだ。
自立とは、「自分の筆頭株主になること」なのだ。
私はかなり、天邪鬼なところがあるので、あまり誰かが自身の生き方や考えを綴った本は読みません。
どこか説教じみて感じるのかもしれないし、マウンティングされている気がするからかも。
しかしこの本は、著者の幡野さんが自分がどんな人間だったのか、それを伝えたいだけのような気もするのです。
大人になり、自分の道を生き始めた私にとっては、とても大切な1冊になりました。
これから社会で生きていく大人の一人として、また親になるかもしれない立場としても、出会えてよかったな、と感じた本でした。
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