ゆらぐアイデンティティと愛、現代を描写した小説。 平野啓一郎 著 『ある男』

こんにちは、環(@echo3i_r)です!

今日は、先日読んだ平野啓一郎さんの『ある男』をご紹介します。

  • アイデンティティを確立するものは、自己、他者、過去、現在……いったい何なのか。
  • 傷を負い大人になった者は幸せになれるのか。
  • その人を愛するとき、私たちはその人の“何を”愛しているのか。

この世界で“人”として生きる上で、わたしたちが直面する哲学をなぞるように綴られる、
“ある男”を巡る物語です。

わたしが手にした本の帯には「平成最後の話題作」と謳われていましたが、納得の1冊でした。
こちらも2019年の本屋大賞候補作になっています!

あなたがあなたであることを、この物語を通して考えてみませんか?

あらすじ

愛にとって、過去とはなんだろう?
愛したはずの夫は、まったくの別人であった。
—「マチネの終わりに」から2年、平野啓一郎の新たなる代表作!

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。
宮崎に住んでいる里枝には2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。
長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。

ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。
里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。
人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。
「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。

人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品。

『ある男』公式サイトより>

公式サイトからは試し読みもできるみたいです。

“ある男”あるいは“ある女”になりたい、と願う

皆さんは、名前も家族もこれまで過去もまっさらにしてしまい、誰も知らない人として過ごしたい、と考えた経験はありますか?

「名前も、〇〇さん家の子ども、と呼ばれるのも、家族の事情も窮屈で、
これまでの自分をリセットして、自分を誰も知らない場所で暮らせないかなあ」
……といった具合に。

作中の人物たちは並々ならぬ事情を抱え、そして過去を、“自分”を変えて生きる決断をします。

世界に渦巻く“哲学”と、その答え

謎を追う城戸は、「大祐」の正体を探る中で、

  • アイデンティティを確立するのは、自己によるものあるいは他者、過去、現在……いったい何なのか。
  • 傷を負い大人になった者は幸せになれるのか。
  • その人を愛するとき、私たちはその人の“何を”愛しているのか。

といった、この世界に渦巻くさまざまな問いに直面します。

物語の謎を追うと同時に、読み手のわたしたちは世界の“哲学”にさらされ、城戸と共に悩み、惑い、苦しむのではないでしょうか。自分自身や周囲に置き換えてふと考えてしまう、身近さやリアルさが、この『ある男』には潜んでいると思います。

簡単に“ある男”になれてしまう、仮想世界

少し話がそれますが、この『ある男』を読みながらふと思い当たったのは、仮想世界であるSNSです。
SNSは利用者が簡単に“ある男”や“ある女”になれてしまう…そう感じませんか?

プロフィールやアイコン写真、SNSで世界へ向けて発信している内容も、
「自分がこうありたい」「自分はこう見せたい」という心理が働いて、“なりたい自分”になれてしまう。
だって、嘘かどうかなんて、簡単に第三者が見破れないですし。

どこにもいない誰か、であったりあの人に似ている誰か、であったり、
人は変身願望のようなものを抱き、日々を過ごしているのかもしれませんね。

自己あるいは他者、あるいは社会

わたしは、『ある男』を読みながら、
自分を自分として決めるものは、何なのか? と考えました。

国に届出がされている戸籍や、〇〇会社で働いている人、〇〇さんの家の子ども、という社会的位置づけ。
「あの人は、こんな人」と周囲からエピソードとして語られる、人としての側面。
そして、自分自身で自覚している、“私”。

どれも一個人を構成する歯車ですが、そこから社会的位置づけが消えてしまった時。
そして語られていたエピソードも、無くなってしまった時。

その時、「この人の何を見ていたんだろう」と、きっと考えてしまうのだと思います。
それが、私たちにとって身近であったり、大切な人であればあるほど、
共に過ごした時間や、共有した出来事さえもまるで嘘だったように、感じてしまうのかもしれません。

人はなるほど、「おもいで」によって自分自身となる。
ならば、他人の「おもいで」を所有しさえすれば、他人となることが出来るのではあるまいか。

作中の“ある男”は他人の思い出を、自分自身のものとして、その他人に成り代わりました。
何年にどこで生まれて、どんな子供で、部活は何をしていて、家族との関係はこうで…といったエピソードを、人の付帯情報として身にまとう様子は、なんだか居心地が悪いような気もします。
しかし、個人のバックグラウンドはその人の内面にはあまり影響がないのかもしれません。

“個人”を作り上げるのは、何なのか。
その“個人”を作り上げるものが失われたとき、後にはいったい何が残るのか。

社会ではなく個人が尊重される時代となった今、その個人の存在を揺るがすような小説です。
手軽に読めるようなお話ではないけれど、ぜひお勧めしたい1冊です。

「僕たちは誰かを好きになる時、その人の何を愛してるんですかね?
……出会ってからの現在の相手に好意を抱いて、そのあと、過去まで含めてその人を愛するようになる。
で、その過去が赤の他人のものだとわかったとして、二人の間の愛は?」

「わかったところから、また愛しなおすんじゃないですか?
一回、愛したら終わりじゃなくて、長い時間の間に、何度も愛しなおすでしょう?
色んなことが起きるから」

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ABOUTこの記事をかいた人

福岡県出身、読書が好きな社会人。 なんでも読む雑食系ですが、ミステリーやファンタジーをよく読みます。特に上橋菜穂子/恩田陸/辻村深月(敬称略)など。 読書は生活の一部。 ご紹介する本が、皆さまにとって良き出会いとなりますように。