孤独と孤独が出会い、光が生まれる。川上未映子 著『すべて真夜中の恋人たち』

こんにちは、環(@echo3i_r)です!

空気が少し痛いくらい冷たくて、静かで、どこか寂しい…
そんな冬の夜にぴったりだと思う大好きな物語を今日はご紹介させて下さい。
川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』という小説です。

この小説に出会い、ページをめくって1ページ目を目にした時の感覚と、読み終えた時の心情は今でもうまく言葉にできません。
初めて読んだときに思わず、「この本はすごい、うまく言えないけどきれいで美しい、言葉にできないからぜひ読んでほしい」と口癖のように何度も(Twitterで)言っていました。

美しく、切なく、繊細で、光あふれる書き出し

まずは、あらすじをご紹介するべきなのでしょうが、一番先にこの物語の書き出しについてぜひとも紹介したいのです。

真夜中はなぜ、こんなにもきれいなんだろうと思う。

それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思い出している。光をかぞえる。夜のなかの、光をかぞえる。雨が降ってるわけでもないのに濡れたようにふるえる信号機の赤。つらなる街灯。走り去ってゆく車のランプ。窓のあかり。帰ってきた人、あるいはこれからどこかへゆく人の手のなかの携帯電話。真夜中は、なぜこんなにきれいなんですか。真夜中はどうしてこんなに輝いているんですか。どうして真夜中には、光しかないのですか。

耳を満たすイヤホンから流れてくる音楽はわたしを満たして、それがすべてになってしまう。子守歌。ピアノの美しい子守歌。すてきな曲ですね。そうですね。ショパンでいちばん好きな曲です。冬子さんも、気に入りましたか。ええ。まるで夜の呼吸のようです。溶かした光で鳴っているようです。
昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。

そうですね、三束さん。
なんでもないのに、涙がでるほど、きれいです。

初めてこの書き出しを読んだときに、これまで見ていた世界が、がらりと変わったような、そんな気持ちになりました。

夜空にきらめく星の光は、朝日が昇ると見えなくなってしまうけれど、消えているわけじゃなくしっかり空にあるんです。

真夜中だから、暗い、ではないんです。
どうして真夜中には光しかないの?
なぜ光で溢れているの?
――それはね、真夜中だから光に気が付けるからなんだ、そういう感性をこの物語は持っているんです。

わたし個人の感性というか、考え方では「夜は日が沈んで、暗い」という従来の一面しか世界を見ていないんだって気づかされました。
うまく言えないんですが、この書き出しだけで胸がいっぱいになります。
何というか、いいなあって。美しいなあって。涙がでるほど、きれいだなって。

この小説テーマがあるとしたら、それは“光”、なのだと思います。
ちなみに、本の帯が、こちらなんですよ。

孤独な魂がふれあったとき、切なさが生まれた。
その哀しみはやがて、かけがえのない光となる。

んんんん~~!!と唸りたくなります。いやもうこれは最高の帯だと思います。
この「んんんん~~!!」という気持ちを言葉にするのが書評だけど、できない、いやしたくないんです。
言葉にしちゃったら、この物語は駄目なんです……。
この時点で「おお?」ともし思ってくれたなら、もうこの書評の続きなんて読まなくていいです、ぜひとも本書を読んでください……!

あらすじ

「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う」

わたしは、人と言葉を交わしたりすることにさえ自信がもてない。誰もいない部屋で校正の仕事をする、そんな日々のなかで三束さんにであった――。
究極の恋愛は、心迷うすべての人にかけがえのない光を教えてくれる。

ものすごくざっくり話すと、主人公の冬子は人と言葉を交わすことが苦手、友達もおらずひとりで仕事をこなし、ひとりで生きています。
恋愛経験もほとんどない、三十過ぎの女の子。そんな彼女はとあることがきっかけで、三束さんという年上の男性に出会う、という物語。

冬子を変えていく、“光”

三束さん、という光

わたしは恋愛小説、とこの物語を扱いたくありません。確かに、冬子は三束さんに惹かれるけれど、それをきっかけに変わっていくひとりの人間の物語、というほうがしっくりくるような気がしているからです。

「どうして空は青いのですか」とわたしはしばらくして三束さんにきいた。
「なんで、こんなに青い感じに」
「波長の問題ですね」と三束さんはさっきとおなじように目のうえを手で囲い、雲のほうをみたまま言った。
「波長の短いものほど散乱するんですね。青い光は短いから散乱しやすくて、だからあんなふうに空全体がおおきくみえるんですよ」

人とうまく話せない冬子は、少しつたない言葉を使って、三束さんにこんなふうに問うんです。
それに対して、三束さんはゆっくりと優しい言葉で返してくれる。

「自分で考えてごらん」と言ってみたりしないし、難しい言葉だって使わない。
冬子が抱いた「どうして?」「なんで?」に対して、真摯に丁寧に向き合ってくれるんですよ。

このゆったりとした関係性が、わたしは「いいなあ」って思います。
背伸びしたり、妙に緊張したりせず、ひとりとひとりが、ただ話をしている。そんなシンプルなシーンだけれど、このふたりからは、どこか幸福が感じられるんです。
幸せって、きっとこういうものなんですよね。

聖、という光

もうひとり、冬子にとって特別な存在になる人物が、聖という女性です。

彼女は冬子とは対照的な、いわば強い女性。冬子が名前のとおり冬、ならば聖は夏、という感じ。
感情もエネルギーもたくさん持っていて、自分の気持ちだってばんばん言葉に変えて発信をしていくような女性です。

「すすんで嫌われる必要もないけど、無理に好かれる必要もないじゃない。
もちろん好かれるに越したことはないんでしょうけど、でも、好かれるために生きてるわけじゃないじゃない」

この言葉、すごく聖らしいなあって思います。というか、ここまで言い切るってものすごく格好いい。
彼女は美人な上に、お化粧もファッションもばっちりキメる。
それでいて仕事もできる、向かうところ敵なしのようなパーフェクトウーマン、男性でも女性でも「違うな」と思うと、ガツンと言っちゃう。
自分の尺度をしっかり持っていて、それを大事にしていて、世間とか常識とかを押し付けられるのが大嫌い。
格好いい女性である一方で、同性の女性からは遠巻きにされ、友達もいないタイプの女性なんです。

冬子とは逆の意味で友達がいない聖は、自分の意見や感情をはっきりと持たない冬子と、いい関係を築けるわけです。
聖は冬子にとって、強烈な光、のような存在なんですね。三束さんがうっすらとした柔らかな光であるなら、聖はぎらつく真夏の太陽というところでしょうか。

この強い光は、三束さんとは違った意味で、冬子に影響を与えることになります……。

孤独と孤独が、出会うとき

冬子が自分がひとりきりなんだ、と独白する場面があります。
読んでいると胸の奥がきゅううっと苦しくなるような気持ちになるような、そんな切実さを感じるような言葉です。

ひとりきりなんだと、わたしは思った。
もうずいぶん長いあいだ、わたしはいつもひとりきりだったのだから、これ以上はひとりきりになんてなれないことを知っているつもりでいたのに、わたしはそこで、ほんとうにひとりきりだった。
こんなにもたくさんのひとがいて、こんなにもたくさんの場所があって、こんなに無数の音や色がひしめきあっているのに、わたしが手を伸ばせるものはここにはただのひとつもなかった。
わたしを呼び止めるものはただのひとつもなかった。
過去にも、未来にも、それはどこにも存在しないのだった。
そして世界のどこに行ったとしても、それはきっと変わらないのだ。

冬子は孤独でした。これは悲痛な叫びではないけれど、淡々と紡ぎだされる彼女の感情は孤独以外の何物でもなく、余計に読み手の心に刺さります。

彼女は自分の感情を、言葉を知らなかった、持っていませんでした。
ふたつの異なる光と出会い、少しずつ変わっていく冬子。
孤独と孤独の出会いの物語だけれど、確かにそこには光がありました。

始まりから終わりまで、心が透き通るような美しさで満ちた物語。
ぜひ冷たい冬の夜、ひとりで過ごす時に読んでいただきたいと思います。

「光はいったい、どこに行ってしまうんです」
「吸収されてしまうんです」と三束さんは言った。
「ほとんどの光は物に吸収されて、消えてしまいます」

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ABOUTこの記事をかいた人

福岡県出身、社会人3年目 よく読むジャンル:なんでも読む雑食系ですが、ミステリーやファンタジーをよく読みます。特に上橋菜穂子/恩田陸/辻村深月(敬称略) 読書は生活の一部。 ご紹介する本が、皆さまにとって良き出会いとなりますように。